イスラム教というと「中東」というイメージが強いですが

イスラム教というと「中東」というイメージが強いですが、2010年の統計では実際にイスラム教徒が最も多く住んでいるのは、アジアの約10億人(62%)で、次に中東・北アフリカ約3億人(20%)、アフリカ南部約2億5000万人(15%)、残る3%程度が欧州です。
国別にみると、イスラム教徒が多いのは、インドネシア(2億人)、インド(1億7000万人)、パキスタン(1億6000万人)、バングラデシュ(1億3000万人)、ナイジェリア(7700万人)、エジプト(7700万人)、イラン(7400万人)、トルコ(7100万人)、サウジアラビア(2600万人)の順になります。
欧州のイスラム教徒は総数が少ないものの、移民の増加と出生率の高さから、人口に占める割合が比較的短期間で上昇している、または上昇するであろうといわれています。たとえばイギリスのイスラム教徒は、1990年には117万人程度と推定されていましたが、2010年には2倍、2030年には560万人に増加すると予測されています。
では、この世界中のイスラム教徒の間には地域差はあるのでしょうか?インドネシアが世界最大のイスラム教国と聞くと、なぜか奇妙な感じがするのは、イスラムのイメージとインドネシアという身近で親しみのあるイメージとが、かけ離れているからかもしれません。中東のあの真っ黒な衣装の女性のイメージは強烈ですし、またインドネシアのあの色鮮やかなバティックの布のイメージからは、なかなか世界最大のイスラム教徒の国とは想像がつきませんね。
ですが、東南アジアでも、インドネシアを筆頭にマレーシアやブルネイなどの島しょ部ではイスラム教が優勢です。7世紀にアラビア半島で成立したイスラム教は、交易を通してインドの西海岸から布教が開始され、11世紀にはインドでイスラム王朝が成立しました。さらに、海のシルクロードを通じて東南アジアにも達し、13世紀にはスマトラ半島に、15世紀にはマレー半島でもイスラム教を国教とする王国が成立しました。島しょ部でイスラム教徒が多いのは、海のシルクロードを通じてイスラム教が布教されたなごりなのです。
東南アジアのいわゆる“ゆるくみえる”イスラムと、中東の厳格そうなイスラムでは何が異なっているのでしょうか?
実は、東南アジアのイスラム教徒も大部分はスンナ派(スンニ派)で、コーランもアラビア語のままです。
イランやサウジアラビアのように国家が厳格にイスラム教を国教として採用し、イスラム法を施行している場合は、すべての女性にヘジャブやチャドルを着せるような政策を採用することもできます。
一方、インドネシアなどのように国教と制定していない場合や、国教と指定していても国家が厳格にイスラム法を導入していないエジプトやヨルダンのような国の場合は、国家が宗教を理由に個人を取り締まってはいません。言い換えるなら、現在ではイスラム教徒の差異は、国家のあり方に左右される場合が多いのです。
東南アジアにも厳格で敬虔なイスラム教徒は存在しています。文献によれば、インドネシア人同士でも初対面の場合、敬虔で厳格なイスラム教徒なのですか?とまずたずね、次にインドネシア・イスラムの中のいわゆる伝統派と近代派のどちらを支持しているのかをたずねるのだと書かれています。
つまり、知らない相手を尊重するために、まずは宗教的厳格さを問うことによって、飲酒の有無や食さないものを判断し、つぎに支持派閥をたずねることでおおよその思考を想定して、避けるべき話題を考えていくということなのでしょう。
インドネシアの場合、大半がイスラム教徒であるにもかかわらず、イスラム教は国教ではありません。ですが実は、1945年のインドネシア独立の際に、イスラムを国教として制定すべきか否か、つまり「ムスリムはイスラム法に従わなければならない」という一文を憲法に入れるべきとして最後の最後まで議論されていたのだそうです。
そして、この一文は土壇場で削除されたというのです。最終的には、インドネシアは「パンチャシラ」とよばれる5原則<唯一神への信仰、人道主義、国家統一、民主主義、社会正義>を掲げて独立し、現在でもこの原則は憲法で規定されています。
ここで興味深いのは「唯一神への信仰」という原則です。2000年の国勢調査によると、インドネシア国民約2億人のうち、88.2%がイスラム教徒、5.9%がプロテスタント、3.9%がカトリック、1.8%がヒンドゥー教徒、0.8%が仏教徒、その他(その他のキリスト教徒、ユダヤ教徒など)0.2%でした。
確かに、イスラム教徒とキリスト教徒を合算すると全体の98%ですから、唯一神への信仰といえるのでしょうが、ヒンドゥー教徒を唯一神への信仰とは考えられません。インドネシアの場合、建国の時期の対共産主義政策として、この一文が付け加えられているために、多神教はOKでも無神論者(つまり共産主義者の代名詞と考えられている)は認められないということのようです(日本人はつい「神様を信じてない」と公言してしまいそうですが、インドネシアに行かれる際には気をつけたほうがよいようです)。
インドネシアでは1998年のスハルト政権崩壊後から民主化プロセスが進んできました。アラブの春の事例でたびたび説明してきたように、インドネシアでもアラブ諸国と同様に、民主化プロセス=イスラム勢力伸長のプロセスとなっています。それは民主化プロセスによって、イスラム政党の出現が可能となり、イスラム法の施行を求める勢力が生まれているからです。
国政レベルではイスラム法の導入はあまり進んでいないものの、地方レベルで確実に進んでおり、約500ある県や市のうち、50の地域でイスラム法を導入しています。たとえば、ブルクンバ県では2002年にイスラム法の導入により、アルコールが禁じられたり、公共サービスを利用するすべての女性にスカーフの着用が義務付けられたりしたそうです。
条例レベルでイスラム法を施行しようとする動きは2003年をピークに、一進一退を繰り返しているようです。次の選挙結果によって、こうしたイスラム法の施行が緩和されたところも多く、現在ではとくにイスラム勢力の伸張が著しいという事例はないようです。
さらに、このパンチャシラの原則が興味深いのは、これが国政レベルでのイスラム法の導入を求める人々の歯止めになっていることです。イスラム法の例としては極端な例ですが、たとえばイスラム法では刑罰のひとつとして鞭打ちや石投げというものがあります。インドネシアではこれはパンチャシラの原則のひとつである「人道主義」に反していると感じられており、導入に反対する人が多いのだそうです。
政府関係者だけでなく、教育者や知識人、広く親の世代を驚かせたのは、先日発表された2015年3月に行なわれた高校生を対象としたISに関する調査結果でした。
ジャカルタ(76校)とバンドン(38校)で各校の男女6名ずつを対象とし、全684名に行なった聞き取り調査で、ISを支持するとした生徒は全体の7.2%で、パンチャシラの原則は変更されるべきとした生徒の割合が8.5%に達したのです。この数値を高いと判断するか、低いと判断するかはさておき、パンチャシラの原則を変更すべきとした生徒がこれほどにも存在したことが、親の世代に衝撃を与えたようです。
若者のISへの傾倒という観点からみても、インドネシアでも中東諸国などとの差異はなく、現存する国民国家システムと自由主義経済システムとイスラムとの摩擦は現在、世界中で表出しているといえるのです。
2015-08-12 00:36