【特別掲載】大疫病の年に マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る 2019年末、中国・武漢に発したとされる新型コロナウィルスは、第二次大戦後最悪ともいわれるペースで世界各地に感染を広げています。なぜ現代世界は新種のウィルスにかくも脆弱になってしまったのか。世界でいま何が起こっていて、これから何が私たちを待ち受けているのか。『感染爆発』などの著作があるアメリカの社会学者マイク・デイヴィスがその核心に肉薄した最重要論考を、Jacobin誌の許可を得て特別に掲載します。  コロナウィルスが世界を駆けめぐって

【特別掲載】大疫病の年に
マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る
2019年末、中国・武漢に発したとされる新型コロナウィルスは、第二次大戦後最悪ともいわれるペースで世界各地に感染を広げています。なぜ現代世界は新種のウィルスにかくも脆弱になってしまったのか。世界でいま何が起こっていて、これから何が私たちを待ち受けているのか。『感染爆発』などの著作があるアメリカの社会学者マイク・デイヴィスがその核心に肉薄した最重要論考を、Jacobin誌の許可を得て特別に掲載します。
 コロナウィルスが世界を駆けめぐっている。われわれの治療能力は言うに及ばず、検査能力すら追いつかないスピードで。いつか出現すると危惧されてきたこの怪物ウィルスは、とうとうすぐそこ、玄関口までやってきた[i]。このようなバイオ危機に対してグローバル資本主義は全く無力なので、国際的規模のきちんとした公的保健インフラを要求していかなければならない。
 コロナウィルスは古い映画のようだ。1994年のリチャード・プレストンの著書『ホットゾーン』[ii]が、中央アフリカの秘境にあるコウモリの巣穴から生まれ、エボラという名で知られる絶滅の悪魔を紹介して以来、こうした物語はくり返し語られ、観られてきた。エボラは、人間にとって未経験の免疫システムの「処女領域」(これは正式な用語だ)に起こる、数々の新しい疾病のはじまりにすぎなかった。エボラのすぐ後に鳥インフルエンザが現れ(1997年ヒトに感染)、SARSがこれにつづいた(2002年暮れに出現)。2つのウィルスはいずれも、世界の生産ハブを担う広東省で出現した。
 ハリウッドは予想に違わず貪欲にもこのアウトブレイクに飛びつき、刺激的で恐ろしい映画が量産された(なかでもスティーヴン・ソダーバーグの「コンテイジョン」(2011)は、科学的な正確さを備え、しかも現在のカオスを不気味なほど予言しており出色である)。こうした映画や多くのぞっとする小説にくわえて、たくさんの真面目な著書やさらに多くの科学論文が、これらのアウトブレイクを取り上げた。そこで一様に強調されたのは、新しい疾病を追跡し対応するための世界的な準備態勢が、絶望的なほど整っていないことだ。
数字のカオス
 つまり、コロナウィルスはおなじみのモンスターで、堂々と玄関から入ってきたというわけだ。もちろんコロナのゲノム配列の解読は(すでに十分研究されたSARSによく似ていることは分かっている)なされるべきだが、今のところこのウィルスに関する最も重要な情報は未知のままである。研究者たちは日夜奮闘し、アウトブレイクの特徴を把握しようとするなかで、大きく三つの難題に直面している。一つは、検査キットの不足がとくにアメリカとアフリカで顕著なことだ。そのせいで、再生率、感染人口の規模、軽症者の割合など、疾病解析の鍵となる数字を正確に見積ることできなくなっている。
 二番目に、季節性インフルエンザと同じく、このウィルスが異なった年齢構成と健康状態の人口に蔓延するなかで変異を起こすことだ。アメリカ人の多くがかかる型は、武漢での最初のアウトブレイクの型とはほんの少し違っている可能性が高い。さらなる変異は毒性を弱める場合もあれば、50歳以上が重症化しやすい現在の毒性を変える可能性もある。現状では、トランプのいう「コロナインフルエンザ」は、アメリカ人の4分の1、つまり年配者および免疫系や呼吸器系に慢性的な問題を抱えた人々に死の危険をもたらす。
 第三に、ウィルスが安定的で変異が最小限にとどまったとしても、若年人口への病気のインパクトは、貧困国や貧困集団では劇的に変わる可能性があることだ。1918-19年のスペイン風邪の世界的流行を思い出してみよう。この流行で人類の1~2パーセントが命を落とした。アメリカとヨーロッパで、当時のH1N1ウィルス[iii]は多くの若者の命を奪った。これは今まで、彼らの免疫系が比較的強かったせいだと説明されてきた。というのは、免疫系が感染に過剰反応して肺細胞を攻撃し、肺炎と敗血症を引き起こしたからだ。だが最近の研究では、年配者は1890年代のアウトブレイクの際の「免疫記憶」を持っており、そのせいでかかりにくかったと主張する細菌学者もいる。
 いずれにせよ、インフルエンザはどんな集団のなかにも心地よい居場所を見つけてきた。第一次大戦ではこの病気が若い兵士を何万人も殺したことで、戦場はめちゃくちゃになった。とくにドイツ帝国軍への影響は致命的だった。そのせいで1918年の「皇帝の戦い」、つまりは第一次大戦の勝敗そのものが決まってしまった。中央同盟国側は連合国軍側のように、病気になった兵士を次々に到着する元気なアメリカ兵と置き換えることができなかったからだ。
 一方、貧困国でのスペイン風邪は違った経過をたどった。世界全体の死亡のうち60%近くが、パンジャーブ地方、ボンベイ〔ムンバイ〕、その他のインド西部地域で生じたことはあまり知られていない(少なくとも当地で2000万人が死んだ)。この地域ではイギリスへの穀物輸出とイギリスによる強制的な穀物の徴集によって、大規模干ばつが生じていた。食糧不足ですでに数百万の貧困者が飢餓すれすれの状況に陥っていた。そのため彼らは、栄養不良(これは感染への免疫反応を鈍らせる)と強度の細菌性あるいはウィルス性肺炎との危険きわまりない相互作用の犠牲となった。イギリス占領下のイランでもこれと似たようなことが起こり、干ばつ、コレラ、食糧不足が数年つづいた。さらにこの悪条件の下でマラリアのアウトブレイクが起こり、人口の5分の1が死ぬことになった。
 こうした歴史、とりわけ栄養不良と感染症との相互作用によるあまり知られていない悲惨な結末は、次のことを警告する。アフリカや南アジアの人口過密で不健康な環境のスラムでは、COVID-19が今までと異なるより致命的な経過をたどる可能性があるということだ。ラゴスやキガリやアディスアベバやキンサシャで、すでにコロナの感染報告が出ている[iv]。ただし、こうした地域の保健条件及び疾病が、ウィルスとどのような相互作用を及ぼすかは今のところ誰にも分からない(そもそも検査キットがないので、長きにわたって相互作用の検証自体できないだろう)。なかには、アフリカの都市人口は世界で最も若年層が多いので、パンデミックは大きな影響を与えないだろうという人もいる。だが1918年の経験に照らすなら、これは愚かな推定だ。パンデミックが季節性インフルエンザ同様、暖かくなると収まるという推定もこれと同じく根拠がない。(トム・ハンクスはまだ夏のオーストラリアで感染した)。
医療のハリケーン・カトリーナ
 1年後には、中国のパンデミック封じ込めの成功が称賛され、アメリカの悲惨な失敗が顧みられることになっているかもしれない(ここでは中国による早期の感染終息宣言がある程度正しいと仮定している)。だが、アメリカにはコロナというパンドラの匣を閉じたままにしておく制度が不足しているという事実に、驚くべき点は何もない。2000年以来、この国では保健医療の前線が何度も崩壊しているのだから。
 たとえば2009年と2018年のインフルエンザシーズンには、国中の圧倒的多数の病院でベッド数がどうしようもなく足りなくなった[v]。これは、長年つづいてきた採算重視の入院患者受け入れ削減策の結果である。こうした危機は、レーガンが大統領になり、民主党の指導者たちもまたネオリベラルの代弁者に変節したことによる、医療支出に対する党派を超えた攻撃からはじまった。アメリカ病院協会によると、患者を収容できる病床数は1981年から1999年の間に39%も減少した。この数値は普通ではない。削減は「センサス」(ここでは病床稼働率の数字)を上げて利益を増やすために行われた。だが、病床の稼働率90%というマネジメント上の目標が意味するのは、伝染病や医療上の緊急事態の際に、病院に殺到する患者を収容する能力がゼロに近いということだ。
 21世紀に入ってから、私的セクターでの救急医療はどんどん縮小されてきた。これは、短期的な増収増益という「株主価値」の至上命令によるものだ。他方で公的セクターでは、緊縮財政と州および連邦の準備予算の削減のために救急医療の縮小が進んできた。その結果、目下重大局面にあるコロナウィルスの爆発的感染を受け入れられる病床が、アメリカ全土でわずか4万5000床しかない。(これに比較して、韓国は人口比でアメリカの3倍の病床が利用可能である)[vi]。USAトゥデイの調査によると、「COVID-19で症状が悪化する可能性がある60歳以上のアメリカ人は100万人いるが、その数に見合った治療用の病床が用意されているのは8州だけだ」。
 つまり今、われわれは医療におけるハリケーン・カトリーナの初期段階にいるということだ。緊急医療への設備投資を減らしただけでなく、専門家たちがこぞって病院の収容定員の大規模増を進言したために、緊急用病床のみならず基本的な医療サプライすら不足するようになった。
 アメリカでは、国単位、また地域単位の医療品ストックは、伝染病のモデルケースで必要とされるよりもはるかに低い水準にとどまっている。つまり、検査キットが全く足りないということだ。これは同時に、医療従事者が自分の身を守るための基本的な装備が決定的に不足していることを意味している。国にとっての社会的良心といえる軍の看護師たちの話を聞くと、N95マスクのような身を守るための備品ストック不足がいかに危険かを誰でも理解できる。それだけでなく、彼らの話から、病院は長い間、CDI〔クロストリジウム・ディフィシル感染症。代表的な院内感染の原因微生物〕のような抗生物質耐性菌の培養室となってきたことも明らかになる。この菌は、病院の過剰収容区域における重大な二次的死因となりうるものだ。
社会の分断
 アウトブレイクは即座に、「われわれの革命」[vii]が国民的政治議題としてきた、ヘルスケア分野にはびこる階級分断を白日の下に晒した。要するに、高額の保険に入り、なおかつ家で働いたり教えたりできる人たちは、自粛要請に従うかぎり快適な隔離環境にいられる。これに対して、公的部門の職員、そしてある程度の保障がなされる組合加入の労働者集団は、収入確保と命を守ることとの間で難しい選択を強いられる可能性がある。だがもっとひどいのは、数百万人にのぼる低賃金のサービス労働従事者、農場労働者、失業者、ホームレスだ。彼らは狼の群れに放り出されたも同然の状況にある。
 知ってのとおり、包括的保障を本当に実現しようとするなら、病欠時の賃金支払いに備えるためのまとまった額の準備金が必要になる。だが現在のところ、労働力の45%はこの権利を否定されているため、事実上〔無理して働いて〕病気をうつすか食いっぱぐれるかの選択を迫られている。それだけでなく、共和党優位の14州では、ACA〔通称「オバマケア」と呼ばれる公的医療保険制度〕準備金制度の開設を拒否してきた。メディケイドをワーキングプアに広げることの拒絶である。そのためたとえばテキサスでは、4人に1人が保障対象外で、感染症にかかったとしても治療を受けられるのは郡病院の緊急治療室だけという悲惨な状態である。
 大疫病が発生している現在、私的医療保険の絶望的なまでに矛盾した状況は、利潤目当てのナーシングホーム産業に典型的に表れている。アメリカのナーシングホーム[viii]は2500万人にのぼる老人を収容し、多くはメディケアと連携している。この産業は非常に競争が激しく、低賃金、スタッフ不足、違法なコスト削減が行われ、完全に資本主義化されている。施設側が感染症抑制のための対応を怠ったことが原因で、毎年数万人が命を落としている。しかも政府は、大量殺戮装置としか形容しがたいこの施設に対して、責任あるマネジメントを一切行なっていない。多くのホームが、とりわけ南部諸州では、追加のスタッフを雇って適切な訓練を施すよりも衛生違反の罰金を支払う方が安上がりだと考え、そのとおりに行動している。
 アメリカで最初にコミュニティ内の集団感染が起きたのが、ライフケアセンターというシアトルのカークランド郊外にあるナーシングホームだったのは驚くにあたらない。私はジム・ストーブという昔からの友人で、シアトル地域のナーシングホーム労働組合のオーガナイザーをしている人と話し、今は彼らについての記事を国に渡すために書いている。ジムが言うには、ナーシングホームは「アメリカ一ぎゅうぎゅう詰めの場所」で、ワシントンのナーシングホームシステム全体が「国中で最も資金がない。つまりテックマネーの海の中で苦しむ不毛のオアシスという馬鹿げた存在」になり果てている。
 さらにジムが言うには、ライフケアセンターの近隣10箇所のナーシングホームに感染が広がったことを説明する決定的な理由を、保健局は見過ごしたままだ。「アメリカで最も値が張るレンタル市場にいるナーシングホーム職員は、だいたい複数のホームで仕事を掛け持ちしている」。当局が副業場所や名前を把握していないせいで、COVID-19の蔓延に対する最も重要な手立てをみすみす逃してしまった。そのうえ〔ホームで集団感染が蔓延している〕今になっても、感染に曝された職員に給与補償を出すから家にとどまるようにとは誰も言わない。
 アメリカ中で、何十、何百のナーシングホームがコロナウィルスのホットスポットになるだろう。今のような状況では、多くの職員が結局はこんな条件で働きつづけるくらいならフードバンク〔寄付された食品を困窮者に無償配布する取組〕を選択して自宅待機を選ぶはずだ。だがそうなった場合、ホームのシステムは崩壊してしまう。かといって、差込便器を取り替える仕事を州兵に任せられるとも到底思えない。
国際連帯
 パンデミックが拡大することで、包括的保障と有給休暇の必要性が強く主張されるようになっている。バイデンがトランプを切り崩し、バーニー(・サンダース)が提案したように、全員のためのメディケアを勝ち取るために団結しなければならない。サンダースとウォレンの代議員が、7月半ばのミルウォーキー・ファイサーヴ・フォーラムでの党大会で果たすべき役割は明らかだ[ix]。だが、残りの者にも街路での重要な役割がある。立ち退き、レイオフ、そして休暇を取った労働者への保障を拒否する雇用主との戦いをはじめよう(感染が怖い? 隣の人と6フィート離れて立てば、それだけでテレビにアピールできる。街路をわれわれの手に取り戻さなければならない)。
 だが、包括的保障とそれに付随する要求は最初のステップにすぎない。大統領選初期の討論では、サンダースもウォレンも、巨大製薬会社(ビッグファーマ)が新しい抗生物質や抗ウィルス薬の研究開発から撤退した点には踏み込まなかった。アメリカにある18の巨大製薬会社のうち、15社は完全にこの分野を見捨ててしまっている。心臓病の薬、中毒性のある精神安定剤、そして男性の勃起不全の治療薬は儲かる薬の筆頭だ。対照的に、院内感染の防止や新しく現れた病気、また昔ながらの熱帯性の病気などは儲からない。インフルエンザの汎用ワクチン、つまり変異しないウィルス表面のタンパク質を狙うワクチンは数十年前から開発可能なのだが、ED薬など儲かる薬より優先するほどの利益を見込めないのだ。
〔耐性菌の蔓延によって〕抗生物質革命は後退させられ、新しい感染症と並んで古い病気が再び流行することになる。こうなると病院は死体安置所となり果てるだろう。トランプすら、自分に都合さえよければバカげた処方箋の出し方をののしるほどだ。だがわれわれはもっと広い視野を持って事態に臨む必要がある。製薬独占を崩し、生存に関わる薬の公的供給を開始しなければならない(同様のことはかつてもあった。第二次大戦の最中に、陸軍はジョナス・ソーク[x]その他の研究者をリストアップし、史上初のインフルエンザワクチンを開発した)。これは15年前に『感染爆発:鳥インフルエンザの脅威』に書いたとおりだ。
 ワクチン・抗生物質・抗ウィルス薬など生存に関わる薬へのアクセスは、人権として保障され、いつどこでも無償で利用できるようにすべきだ。こうした薬を安価に製造するためのインセンティヴをもたらす力が市場にないなら、政府とNPOが責任を持って製造・配布すべきだ。貧困者の生存はどんなときも、巨大製薬会社の利益より優先順位が高くなければならない。
 現在のパンデミックは次のような議論を生むだろう。資本主義によるグローバル化は、真に国際的な公的保健インフラなしには、いまや生物学的に持続不可能だと。しかしこうしたインフラは、民衆運動によって巨大製薬会社と利益優先のヘルスケアが持つ権力が打ち破られなければ、決して生み出せない。
 こうした運動は、人類生存のための第二次ニューディール[xi]を超える、独立社会主義者による構想を必要とする。オキュパイ運動以来、進歩派は収入と富の不平等に抗する、闘争の最初のページを開くという偉業を達成した。だがいまや、次のステップに進むことが求められる。ヘルスケアと製薬産業を直接の標的と定め、社会的所有と経済権力の民主化を進めていかなければならない。
 だがわれわれはまた、自分たちの政治的道徳的弱さも素直に認めなければならない。若い世代の左派に新しい展開が見られ、政治言説に「社会主義」ということばが回帰したことに、私自身興奮を覚えた。一方で、進歩派の運動にも自国中心主義の傾向が広がっている。これは新しいナショナリズムに対応するものだ。ただしこれは、アメリカの労働者階級とラディカルヒストリーに特有の傾向だ(おそらくこういう思想の持ち主は、デブス[xii]が核心部分でインターナショナリストだったことを忘れているのだろう)。こうした動きは、場合によってはアメリカ第一主義の左派版と見分けがつかなくなっている。
 パンデミックに関しては、社会主義者は機会を捉えて、国際社会主義の重要性に注意を促すべきだ。具体的には、進歩的な友人や彼らが政治的に支持する人たちに対して、検査キット、身を守るための備品、そして生存のための医薬品の貧しい国々への無償配布を大規模に行うことが重要だと力説してほしい。すべての人にメディケアを確保することが国際的、国内的な政策となるかどうかは、われわれ自身にかかっているのだ。
 
【解題】
 マイク・デイヴィス(Mike Davis, 1946-)は、アメリカ、カリフォルニア州フォンタナ生まれの都市社会学者である。カリフォルニア大学ロサンゼルス校に学び、地元LAの変化を住人としての体感と都市社会学者としての歴史・社会感覚から描き出した『要塞都市LA』(City of Quarts, 1990. 日本語訳は村山敏勝・日比野啓訳、青土社、2001年)で、世界に知られるようになった。変わった経歴の持ち主で、若い頃にトラック運転手や食肉加工業のブルーカラー労働者として働いた。また学生運動や社会運動に傾倒し、学業がしばしば中断されたため、アカデミックキャリアはかなり遅くからのものである。
 今回訳出したのは、雑誌JacobinのHPに2020年3月14日付で掲載された記事である。Jacobinは、紹介文によると「アメリカ左翼を主導する声であり、政治、経済、文化に関する社会主義的パースペクティヴを提供している。紙媒体の雑誌は季刊で、5万の定期購読者がいる。加えてウェブには1ヶ月200万のアクセスがある」とのことだ。
 今回の記事は、『感染爆発』(2005)での分析を下敷きに書かれており、アメリカにおけるパンデミックの土壌を、歴史的社会的な視点からクリアに示している。
 デイヴィスの作品は基本的に、富者と貧者、金持ち国と貧乏国、セレブと底辺層などの対比で全編が展開される。しかしそうした図式が退屈にならないのは、一握りの富者が必ず膨大な貧者を生み出し、貧者からの搾取と彼らへの寄生によって強欲な者が繁栄するダイナミズムを執拗に描くからである。歴史的具体的な文脈はそれぞれ異なるが、富者がよく考えついたなというほどずるいやり方で貧者を搾り上げ、騙し、借金漬けにし、死に追いやる事実は、昔も今も変わっていない。古今の文学にくり返し描かれてきたこうした残虐行為が日々くり返されている以上、それを指摘しつづけるのは研究者の責務である。
 その意味でデイヴィスの精神はマルクスに忠実だが、グローバル資本主義によって地球大に拡大した金持ちの貪欲が止まるところを知らず、感染爆発や人口爆発(デイヴィス『スラムの惑星』のテーマ)につながっていく様相の描写はSF作品のようである。現象とその原因の絡み合いをほのめかしながら進む彼の叙述は、グローバル社会のネットワークのさまざまな場所に出没し、縦横無尽に世界を駆けめぐる。
 最近のアメリカは自由の国というより、グローバル資本主義の妖怪に成り果てたというイメージが強い。そのため日本の読者には、アメリカに社会主義者がいること自体驚きかもしれない。だが20世紀前半には、世界で最も工業化が進み民主化された国家アメリカは、労働運動や社会運動が非常にさかんな国でもあった。記事の随所でデイヴィスは、アメリカ社会主義のレジェンドたちについての歴史的記憶を呼び起こしている。
 デイヴィスの世界像によるなら、グローバル資本主義が人々の食、農業、畜産、そしてヘルスケアに与えた影響は深刻である。アフリカのスラムは生存水準以下の生活に喘ぐ人々であふれ、大規模畜産工場の世界展開は、鳥インフルエンザウィルスが人に感染する型に変異する温床となった。都市に人が集まるのは農村の絶望的な貧困によるが、これは農業の「遅れ」によるのではなく、大資本と国際金融体制によってローカル経済や地元の小規模農業がなすすべもなく破壊され、生きる糧を失った人々が都市になだれ込んだせいである。
 こうした認識同様、コロナウィルスについても、記事の中でアメリカの医療と保健のシステムが有する致命的な脆弱性と歪みが、とりわけ老人とケア労働者への感染の蔓延から明らかにされている。また、アフリカのスラムにパンデミックが起こった場合の悲惨な結末を予言し、国際的な医療資源の無償配布体制の構築を急ぐべきだとの提案は、今ここで実行すべき国際連帯の呼びかけとなっている。
 今にはじまったことではないが、今回のパンデミックにおけるWHOの対応はかなり落胆させられるものだ。WHOが大国と大資本のカネに屈服し、手遅れになってから追認的宣言を出すだけの組織になってしまっていることを強く印象づけた。では誰がどのように、正論そのものである医療資源の公共的な利用を担うのか。その課題に応える組織を求めることからはじめる以外ないというのがデイヴィスの考えだ。
 日本のコロナ対策について、今言えることはなんだろう。私自身は、面倒な制度を作るのではなく、わかりやすいが何も残らない形でカネやものをばら撒く政治の最果てに来てしまったように感じている。安倍政権は末期で、責任ある対応を放棄したのだろうか。現金給付は一定の意味があるかもしれないが、なぜそれがなされるかと、どんな効果がどの程度見込まれているかについての説明は曖昧なままだ。また、お魚券、お肉券、そして布マスク配布など、小学校の給食当番のような姿でアピールする首相を見ると、危機感を煽られる前に悲しくなってくる。
 かつて日本の政治は、土建屋政治、バラマキ政治と揶揄されたが、そこでは少なくとも何かを作っていた。無駄な公共事業をやめた方がいいのは自明だが、今では保育園を作る代わりに無償化という手っ取り早く金だけ出すやり方で票集めをしている。そして実際の施設づくりや運営は民間に丸投げされる。保育士の待遇をはじめ、これがいかに責任逃れの馬鹿げた政策かは明らかだ。
 私たちは、世界一の長寿国日本の医療の平均水準が、アメリカのようなものでなかったことに心底感謝すべきだろう。また、中国のようなトップダウンのハイパー監視体制にないことをありがたく思った方がいい。このように評価すべきところは評価しながら、パンデミックによってあらわになる社会の弱点や政治の欠陥を把握し、社会を変えるきっかけを探らなくてはならない。 
2020年4月5日 都市封鎖に備える東京にて