甲子園

日本の野球と大リーグとかアメリカの野球は違うと言われているが
日本でも普通の野球と甲子園大会はまた別のもので
要求されているものも違うような気がする
真夏の甲子園で過密日程をこなす、勝ち進むにつれて、投手の疲労が問題になるが、
そこを何とかしないといけない
そこをケガしないように何とかしろというのがルールである
継投で行くか、一人で投げる強い投手を育成するか
スポーツが限界に挑むものである以上、けがもある程度仕方ないと考える人もあるが、それはかなり野蛮
旧軍隊式で、体力の限界を精神力で突破する、というような雰囲気は濃厚にある
監督と選手の関係も独特なものがある、全面的服従
連投が問題であれば、連投に耐えられるような体力や、けがをしないような投球フォーム、配球など
工夫の余地はあるのだろう
コントロールがよければ、90球程度で、9回を投げ切ることができる
それも含めての甲子園のルールなのだと思う
相手との戦いではあるけれども、ケガと消耗との戦い。
それは現代ではどのスポーツでもそうなっていると思う
疲労や投球フォームの問題で肩やひじを壊すのはもちろん良くないが
それは甲子園ルールをよく克服できていないからではないかとも思う
陸上の短距離選手が、二時間も走ったら壊れてしまうと言っているようなもので
長距離には長距離の走り方も鍛え方も、けがをしない方法もあるのだろう
そのような不分明な甲子園ルールは普通の野球ではない、だから甲子園でも普通の野球をやれというのもひとつのよい立場だし、
甲子園は普通の野球ではないと考えるのも、ひとつの立場だと思う
こちらは旧来の体育会のさまざまな弊害がたっぷり付きまとうのだが
トレーニング方法が進歩、金属バット、マシンで打ち込む、体格の向上、などで打者優位の状況はあるので、投手は大変だと思う
2年生や1年生がよく活躍しているのも目立つ
甲子園ルールという特殊さを克服するにはその特殊性をよく理解している指導者が大切だろう、
そしてスポーツ特待生などで大阪や沖縄の選手が北海道から甲子園にでている現状なども考えると、
ますます強豪校の優位は強まり、普通の高校が甲子園に出ることも、勝ち進むことも、難しそうだ
応援団とか父兄会とか寄付金とか遠征費用とか
強豪校は練習試合も大変だと記事にある
特待生枠で、生まれた地域とは別の場所で高校時代を過ごす選手たちは、
マスコミが言う、学校の伝統などとは関係なく野球をしているのだろう
マスコミは学校ごとにアイデンティティを持っているような語り方をするのであるが
どうだろう、そのように言うのが便利だから言っているだけで、実情は違うだろうと思う
スターになってプロ野球に進んで大金をもらい、テレビ局関係の女性と交際・結婚し、そのように歩む人もいる
単純に言って、あんなに暑いところで、スポーツをするのはお勧めではないことは確かだろうという、かなり根本的な部分もある
お盆には実家に帰って高校野球、故郷の話題にもなる、移動中も、放送を聞いていれば退屈しない
原爆の日や8月15日のサイレンで黙とうする
高校生の教育としてのスポーツという建前であるが、それは建前に過ぎないことはみんなよく理解していて、しかし、表面的には二重の基準で、公式見解を述べる
各地のドーム球場を使って日曜日ごとに試合をするというのも楽しいと思う
そもそも投手の動作が、肩とひじに悪いことが根本的に良くない
投手を廃止して、ピッチングマシンに置き換え、速度、スピン数、球種とコースを一球ごとに自由に設定する、その設定者を投手と呼ぶようにする、守備はする、バッティングと守備で競うのも合理的である
プロ野球人気も低迷気味、少年野球人口も低迷、それに伴い指導者も劣化、父母会も劣化
100球ルールは分かりやすいが、意図的なファウル打ちで粘られたりすると、すぐに交代となる