メンタライゼーション メンタリゼーション を勉強しよう MBT mentalization-based treatment

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 境界性パーソナリティ障害に対する精神力動的精神療法と普通の治療の比較
 
  境界性パーソナリティ障害(BPD)は、自傷行為などの衝動的な自己破壊的行動を繰り返すことや、本人の苦痛感がひどく強いこと、対人関係が不安定で混乱しがちなこと、など数々の症状が慢性的に続くために本人にとっても周囲の人たちにとっても重大な問題になっていることが多いものです。 さらに、その他のパーソナリティ障害に比べて本人が比較的自主的に医療機関に治療を求めてくる一方で、治療はなかなか難治であることもあって、BPDは多くのパーソナリティ障害の中でも特に注目を集め、これまでにも多くの研究がなされてきたものです。
  これまでの研究で、BPDに対しては薬物療法は対症療法的で付加的な意味合いしかなく、むしろ治療の中心は長期におよぶ精神療法(心理療法)であるべきことが示唆されてきました。 その中でも、リネハンらによる認知行動療法(弁証法的行動療法DBT)や、フォナギーとベイトマンらによる「メンタライゼーション機能に焦点づけられた精神療法MBT」という精神力動的精神療法、そしてカーンバーグとクラーキンらによる「転移に焦点づけられた精神療法TFP」という精神分析的(精神力動的)精神療法などが、特にその治療効果についてしっかりとした科学的根拠を示していました。
  今でも、特に日本国内では、BPDというと治らない性格の病であると思っている人がまだ大勢いるような印象があります。 しかし、上記のようなしっかりとしたエビデンスを示している精神療法(心理療法)が現実に存在することからおわかりのように、本当は(長い時間と労力をかければ)治りうる疾患であると考えるべきでしょう。
  今回とりあげるのは、「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」に関連した研究で、これまでに何度も出てきているフォナギーとベイトマンらによる英国からの研究論文で、
Bateman A & Fonagy P. Randomized controlled trial of outpatient mentalization-based treatment versus structured clinical management for borderline personality disorder. Am J Psychiatry, 2009; 166: 1355-1364.
  です。 今回のこの研究では、フォナギーらは彼らの推進する「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」と、「普通の精神科的マネージメントによる構造化された治療SCM」との比較を行っています。
  (ここで若干注意が必要なのは、「普通の治療」といっても週1回くらいの支持的精神療法を中心とした個人面接と集団療法が組み合わされ、治療の方向付けもかなりしっかりしており、日本国内で一般的に行われている「普通の治療」とはだいぶ違うということです。 これに対して「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」はメンタライゼーション、つまり「自分や相手の気持ちにしっかり気づいていくこと」に焦点づけられた精神力動的精神療法であり、これまた週1回の個人面接と集団療法を組み合わせているものです。) 
  治療期間は治療開始から1年半まで追跡調査をし、その間の症状的な変化を見ています。 その結果、どちらの治療でもほとんどすべての症状(自傷行為の頻度、入院を要してしまう頻度、全般的な生活の質、症状の苦痛度合い、抑うつ症状、社会適応、対人関係機能など)は改善傾向を示しています。 そして図に示すように(図では症状のうちで「自傷行為の頻度」と「対人関係機能」のみを取り上げています)、やはり予測通りに、ほとんどすべての症状項目において「普通の治療SCM」に比較して、「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法MBT」の方がより早く確実に良くなっている様子が示されています。全般的な生活の質、あるいは症状の重症度の指標となるGAFスコアは、治療前ではどちらの群も40くらいであったものが、治療開始1年半で「普通の治療」でも53にまで上昇していますし、「メンタライゼーションに焦点づけられた治療」では61まで上昇しています。 さらに注意すべきなのは、BPDを治療していくのには通常もっと長い治療期間が必要ですから、1年半というのは治療の途中段階でありまだまだ通過点にしか過ぎないということです。 つまり、これらの患者はこれからもっともっと良くなっていく可能性が高いのです。
  フォナギーとベイトマンが提唱する「メンタライゼーションに焦点づけられた精神療法」は、精神力動的精神療法、つまり精神分析学を基礎においているものの、ややこしい背景理論があまりありませんし、特殊な治療技法があるものであもりません。 このため専門家の教育訓練が比較的楽にできるだろう、と彼らは言います。 そして、BPDという放っておくと非常に難治な問題に対してしっかりと治療的に対応できる専門家を必要とされるだけたくさん育成していくためには、習得があまりに難しい治療理論や治療技法を要するものではだめであって、一般的に行うことができ普通に広めることができるような治療法がなくてはならないのだろう、というようなことを議論しています。
  確かにそうでしょう。
  しかし、上記のような「普通の治療」さえ満足に行き渡らせることができていない日本国内の現状を考えると、そんな議論はまだまだ10年も20年も先になってしまうかもしれません。