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社会の安全のために
プライバシーを差し出す
たとえばテロ予防のために
通信記録を差し出す
完全な安全のためにはプライバシーは犠牲になる
完全な自由のためには安全は犠牲になる
その妥協点をどのように合理的に決定できるか
またプライバシー情報をどれだけ集めてもテロの防止にはならないとの議論もある
典型的な反応は「自分は何もやましいところはないからどれだけ情報を集められても構わない、少しでも安全な法がいい」とするもの
それはそれで理解できるのだが
プライバシー情報はテロ対策だけではなく
普段の選挙や商売に利用できるものでもある
それは重大だ
自分の16歳の娘に、生まれてくる子供のためにこちらでお買い物をどうぞという案内が届いたら、どうなのだろう。あるい水子供養はどこでとか。
そのことがひとつ
もう一つは、情報担当当局がどんな情報を集めてどんな分析をしているのか
民主主義国家の主権者である国民が知ることがないこと
たとえば50年後に全部開示するといっても
健全な民主主義に役に立つのかどうか
技術革新は日々目覚ましいので50年前がどうとかはもう関係ないような気もする
歴史の検証としてはいいが単なる学者仕事になりそうだ
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