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パスカルのキリスト教擁護
旧約聖書はなぜ信頼できるかという話で
1.キリスト教とユダヤ教は対立関係にある
2.両者とも旧約聖書の正しさは認めている
だから旧約聖書、特にモーセ五書は正しい
これは裁判を想定してみると分かることであり
被告も原告も正しいと認定していることは
正しいと認定して議論を進めて構わないことと同じである
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というような議論をパスカルはしているらしいのだが
これは真理の源泉として「権威」を議論しているものらしい
パスカルだから数学的な議論も、合理的判断の議論も、達人には違いないが
それでも権威について議論しキリスト教擁護をしている
ユダヤ教とキリスト教のいずれかが正しい
という前提から出発しているのでおかしなことになるのだと思うが
現代ならば
キリスト教と無神論的唯物論の対立の法廷を想定するのだろう
その場合、両者ともに認める共通項があったら、それは当然の前提として進めるということになる
キリスト教と無神論的唯物論の両者が想定する当然の共通項は何か(パスカルの場合のモーセ五書)ということを
提示して議論したいのであるが
当面、うまく思いつかない
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