採録
ーーー
世界の国々は4つのタイプに分類できる。「豊かな国」「貧しい国」、そして「日本」「アルゼンチン」である――。米国の経済学者ポール・サミュエルソンが1990年代に好んで語ったというジョークである。
米欧の先進国の暮らしや産業のレベルが高いことは、誰から見ても明らかだ。途上国や新興国の人々の苦労を知らない者はいない。けれども、天然資源が乏しく第2次世界大戦で国土が荒廃した日本が、なぜあれほど経済的な成功を収めたのか。素人にも納得できるように説明できる経済学者はいない。
同じように、世界中がうらやむほど豊かな自然環境と資源に恵まれたアルゼンチンが、どこで何をどう間違えて、これほど落ちぶれてしまったのか。これまた原因は何かと問われて、明快に答えられる専門家は見当たらない。ケインズ学派と新古典経済学を統合した経済学の泰斗の目にも、日本とアルゼンチンは不思議の多い国と映っていたに違いない。
その後、日本はバブル崩壊と長いデフレを経験し、繁栄の謎を問われる特殊な国ではなくなった。一方のアルゼンチンは2001年に約1000億ドルの債務の返済ができなくなり、最初のデフォルト(債務不履行)に陥った。
以来、パリクラブなどを舞台に債権者との交渉を延々と繰り返したほか、その間にも合わせて6回ものデフォルトを引き起こした。国際的な信用は地に落ち、孤立を深めている。巨額な債務や米国への激しい対決姿勢など、おどろおどろしい見出しが連日のように紙面に躍る。報道記事で知る限り、アルゼンチン経済はガタガタ。もはや国家崩壊の危機にひんしているようにも見える。
そんなデフォルトをめぐる不安と臆測が渦巻く昨年の8月初め、緊張に身を固くしながら、同国の首都ブエノスアイレスを訪れた。聞くと見るとでは大違い、百聞は一見にしかず、と言うべきか。治安の混乱や困窮した市民の生活を想像していた私にとって、そこには驚くべき光景が広がっていた。
人々の表情が、なんとのどかで、楽しげであることか。パリを思わせる美しい石畳の街角で、町の音楽家がタンゴを奏でている。朝には、センスのよい服装の男女が、忙しそうに、だが平和な面持ちで職場へと足早に歩く。夜になるとしゃれたレストランやバーでワイングラスを傾ける人々の笑顔が目立つ。百貨店やモールは買い物客でにぎわい、店には商品があふれていた。大規模なデモもなく、町は極めて静か。もちろん暴動など起きてはいない。
私が訪れた数日間は、旧市街に露天商が並ぶ手作り小物のフェスティバルが開かれていた。小粋なバッグやアクセサリーを物色してぶらぶら散歩するブエノスアイレス市民と観光客たち。ここがデフォルトした国とは到底思えない。
この国は世界で孤立している。しかし孤立しても、基本的には生きていける国なのだと実感した。穀物の一大産地であり、大豆油、大豆カスの輸出は世界1位、トウモロコシは2位、小麦は9位。牛肉は世界一おいしいともいわれ、上質の国産ワインが安く手に入る。食べるものには困らない。工業製品の多くを輸入に頼るが、必要な物品は南米南部共同市場(メルコスル)で結ばれた隣国ブラジルから十分に入ってくる。
エネルギーや鉱物資源もあり余っている。技術的に採掘が可能なシェールガスの埋蔵量は、中国に次いで世界2位とされる。ハイブリッド自動車などの電池の素材として欠かせないリチウムの生産量は世界4位。銅やアルミなど需要が伸びる金属類も生産、輸出している。
実はフェルナンデス政権は、アルゼンチン国内で今年10月に選挙を控えている。なんのことはない、アルゼンチン国内から眺めれば、今回のデフォルト騒動は「政治ゲーム」である。理不尽なハゲタカや米国を攻撃することで、国民のナショナリズム感情に訴え、支持率の底上げにつながると計算しているからだ。
ニューヨークを舞台とする「マネーゲーム」と、ブエノスアイレスで繰り広げられる「政治ゲーム」。これがアルゼンチン史上8回目とされるデフォルトの本質である。
鮮やかなドレスをひるがえし、エロス満点のタンゴダンサーが舞台で踊る、踊る……。きらびやかなバンドネオンの音がホールに鳴り響き、バイオリンは切なく歌う。食べ切れないほどのステーキをテーブルに載せて、観客はおいしいワインに酔いしれる。ブエノスアイレスはきょうも、元先進国の誇りと文化の香りに包まれている。
同じ債務国でも、日本にはまねはできない。ここは現代の桃源郷ではないか。
ーーーーー
昨年7月末に陥った今回のデフォルト状態は、アルゼンチンに債務の返済能力が欠如していたのが原因ではない。2001年の危機対応で債務再編と減額に応じなかった、いわゆる「ホールドアウト債権者」との法廷闘争で、同国政府を訴えていたヘッジファンドなどの原告が勝利したからだ。同国が債務の全額を返済するまでは、債務再編に応じた「ホールドイン債権者」に対する利払いをも禁じるとしたニューヨーク地裁の判決を、米連邦最高裁が支持したのだ。ホールドアウト債権者との交渉が決裂した結果、同国は7月30日の利払いを履行できず、デフォルト状態とみなされた。
実際にはアルゼンチン政府は、ホールドイン債権者への利子の送金を続けている。だが、裁判所の判決が出ている以上、米国の銀行は受け取ったカネを債権者に払い出すことができない。裁判所に怒られるのが怖いからだ。だから債権者の手元にカネが届かない。
全体の3%とされるホールドアウト債権者は、97%のホールドイン債権者とアルゼンチンを、こうしたジレンマに陥らせることで「デフォルト認定を得ること」自体が狙いだったとされる。タダ同然の格安の値段で旧国債を買い取った上で、債務不履行に備える保険商品であるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を大量に購入しており、はれてデフォルトとなれば巨額の保険金を手に入れることができる。ひとことでいえば、これは「マネーゲーム」だ。
だからこそ、アルゼンチン側は猛反発した。その美貌とポピュリズム的な政策が目立つクリスティーナ・フェルナンデス大統領は、ここぞとばかりに「ハゲタカファンド」と、他国をネタにゲームに興じるウォール街、そして米国の価値観そのものを批判した。米国への反撃の急先鋒(せんぽう)
は、ノーネクタイのラフな姿で記者会見に現れ、弁舌鮮やかにアルゼンチンの正当性を主張するイケメン大臣。43歳のアクセル・キシロフ財務相である。
は、ノーネクタイのラフな姿で記者会見に現れ、弁舌鮮やかにアルゼンチンの正当性を主張するイケメン大臣。43歳のアクセル・キシロフ財務相である。