理性、合理性、reason、数学的形式への信仰、
これが現代人の信じる「神」として、もっとも意味のあるものであると思うのであるが
20世紀後半から21世紀にかけて
かなりの動揺が見られている
ラッセル、ホワイトヘッドからゲーデルに至る流れで、
人間の理性と数学の基礎づけに失敗、
これが大きな挫折
次に経済と政治の分野でマルクスから現代に至る理性主義の挫折
(これは表面的にはそうなのだが、実際は、計画経済が挫折したのではなくて、
倫理性の低い人間が、計画経済を変質させてしまい、堕落した形の経済にしてそこから搾取したということだろう
政治も同じ)
思想分野では文化人類学や脱構築に見られるように
西洋理性主義文明の相対化とともに
西洋以外の地域では先祖返りが起こり
反理性がまるでいいことのように宣伝され、そこでもまた搾取が起こっている
要するに根本原理を考えて実現するよりも
目先の商売なのである
理性主義の側では
自然科学分野で大きな成功を続けているものの
その成功の果実は大部分軍事分野で発生し予算がつけられ実現されているという
悲しい現実
原子力も、コンピュータ・ネットワークも
ロケットを飛ばすのも人工衛星を飛ばすのも
もちろん本当は軍事的な目的である
また一方で、スピリッチュアルな動きがある
二つあって、
理性主義よりも先祖返りするものと
理性主義を超越してゆくものとがある
大部分は理性主義からの先祖返りであって
アニミズム的な土着信仰を唱えたりする
理性主義を超越して包含してゆく動きは
天才にしかわからないものだと思うので
第一、そのような思想を記述する言語が存在しない
だから個人の着想としてはあるのだろうが
共有可能な財産になっていない
たとえばケン・ウィルバーの一部の思考
行き止まりにいたり、先祖返りするという動きは不自然ではない
人間にはありがちなことである
しかし、先祖返りの思想潮流の中で人生を生きてしまうことは
たぶん人生の無駄遣いということになるだろう
苦しいだろうが、
理性主義を包括してなおかつ超えてゆく思考を
どの分野でも作り上げる必要があると思う
商売したいとか権力がほしいとかなら
なんでも利用すればいいだろうが
そうでない人は
立ち止まってよく考えよう
理性主義の限界点が見えたからと言って
また理性主義に人間の倫理性が追いついていけないからと言って
急に先祖返りするのは
おかしなことではないだろうか