「AI」(人工知能)は今、第3次ブームに入っている。その立役者はディープラーニングだ。それは、人間の認知メカニズムをモデル化することによって、AIにデータを与えるだけで、何を特徴に認識すべきか、自分で判断できるようにした。人間は子どもでも、猫を何回も見れば「ヒゲがある」など特徴を一般化して理解し、猫を認識できるようになる。この対象を認識して概念を形成するために必要な情報を、特徴量と呼ぶが、従来のAIでは人間が決める必要があった。が、ディープラーニングでは、AI自らが特徴量を取り出せるようになる。こうした技術革新についてトップ研究者である松尾豊・東京大学准教授と、世界最先端の開発を進める米グーグル傘下の英ディープマインドを取材した経験を持ち、自身もコンピュータ将棋とのトーナメント戦へ参戦を決めた羽生善治・将棋棋士に、対談してもらった。
将棋の大局観のようなアプローチも
――英ディープマインドが開発した「アルファ碁」がイ・セドル九段を4勝1敗と圧倒しました。
羽生:読みに関しての無駄の省き方というか、引き算としての洗練のさせ方、将棋でいうと大局観のような人間的なアプローチが急速に進歩していますね。以前の計算量で、精度の低さをカバーするといった足し算の世界とは変わったと感じました。
ただ、人間でもAIでも、正しく一つの局面を評価することは最も難しいのです。人間のプロ同士でも見解は分かれ、お互いの正しさを競い合っているような面があります。AIのプログラムの間でも、同じ局面に対して、評価関数がプラス100になるものもあれば、マイナス100になるものもあるように、バラツキがあります。
松尾:イ・セドル戦当時のアルファ碁は、状態がよいか悪いか、今だったらどの手がよいかを、膨大なデータを元に計算できるようになっていました。
ですが、もう少し大ざっぱに、「この後、こう行って、こうなったら勝つんじゃないか」という思考は入っていなかったと思います。そのような、状態と行動の特徴認識をできるようになれば、羽生さんの言われる大局観につながっていくはずだと思います。ただし、その際は人間の大局観をどう定義するか、ということが問題になるでしょう。たとえば今、2勝しているから、ここはちょっとチャレンジしてよいだろうとか、もっと大きなフレームが必要になるかもしれません。
羽生:昔の人が今の将棋を見たら、怒り出すでしょう。かなり伝統的な世界ですから。たとえば昔は、穴熊で隅に囲むのは邪道というか、王道ではないからダメだというような縛りがあった。でも、その価値基準も、時代によって変化しています。
コンピュータ将棋のプログラムは、チェスのプログラムを多く取り入れています。チェスだと、ビショップとナイトがほぼイコールの価値ですが、将棋も、たとえば角と他の駒がほぼイコールで、角を捨てることを全然ためらわないんですね。そこは人間の目から見ると、ちょっと違うんじゃないかと思うことはあります。
でも、そうしたコンピュータ的な発想を取り入れて、実戦で指している棋士もけっこう増えているので、今ちょっと融合し始めているような状況です。
AIの学習はまるで伝言ゲーム
松尾:ディープラーニングは人間をモデルだけ真似しているのですが、人間の脳は相当よくできていて、かなり近いものになってもおかしくないと思います。人間の脳も、それぞれのニューロン(神経細胞)が、次の層のニューロンへ、情報を渡していく構造になっていると考えられます。
異なるタスクを処理するマルチタスクラーニングの場合、それぞれのタスクに共通して貢献するような情報を、次のニューロンに渡すことが解決につながります。なぜかはわからないのですが、複数のタスクに共通する要因のほうが真である確率が高い、という法則が成り立つのです。難しい問題に対処する場合は、簡単なものの和で構成されることが多い、という法則も成り立ちます。
羽生:AIの学習って、伝言ゲームに似ていると思うんですよ。たとえば、「今日、東洋経済で取材を受けました」と最初に入力しても、100層目では、「明日、銀座でパレードがあります」みたいな全然違う文章になったりする(笑)。なぜこんなことが起きたかを調べると、中に全然意味を理解していない人がいるので、とりあえずその人をどけておいて、ちゃんと「今日、東洋経済で取材を受けました」という文章になるように、いろいろな工夫をしているんですよね。
松尾:すごくわかりやすいですね。レジデュアル・ネットワークという手法では、多層化で生じやすくなる誤差を、バイパスを作ることで修正するように訓練するのですが、まさに3人くらい飛ばして伝言するという感じです。
ディープラーニングでは、いろいろと面白い研究が出てきています。たとえば、今まではビリヤードの球の動きをコンピュータ上で再現するだけでも、ニュートン方程式など物理モデルを作るしかありませんでした。でも、ディープラーニングを使うと、ただビリヤードの球がどう動くかというパターンを見せ続ければ、予測できるようになります。この球をこっちの方向へ打つと、こうなって、ここら辺に止まるだろう、と予測できるようになるのです。
少し前は「イチローが上手に打てるのはニュートン方程式を解いているからか」「解いていないのになぜできるんだ」みたいな議論がありました。が、ディープラーニングを使えば、ある状況を思い浮かべたとき、次に何が起こりそうかを予測し、それがよいことか悪いことかを判断して、行動を選べるようになる。これは自動運転でも同様で、今の状態で走っていくとどうなるかというシミュレーションができます。これは大きな進展だと思っています。
脳の疾患も治療できるようになる?
羽生:ディープラーニングでは、人間の脳の仕組みをモデルにしていますが、脳の構造や認識のあり方は分かっているのですか?
松尾:分かっていません。視覚の仕組みやニューロンの種類など、部分的には分かっています。ただし、それがどうマクロの挙動へつながるかというところまでは、分かっていません。
でも、興味深い手掛かりは、分かってきました。韓国サムスン電子などは、ディープラーニングによる推論をスマホでやろうと、圧縮技術を開発しています。ニューロン間のつながりで重要性が低いところは消す、似たものは同一にして間引いていくのですが、相当間引いても、あまり精度は下がりません。ただ、ある水準以上を間引くと、精度の曲線がダーッと一気に下がってしまいます。これを医者に見せると、「アルツハイマー症と一緒だ」と言われました。最初はまったく症状に出てこないのですが、途中からダーッと悪くなってしまう。おそらく人間の脳でも、同じような現象が起きているのだと思います。
米グーグルは「DeepDream」(編集部注:画像を処理させると、ディープラーニングで認識した画像の特徴量を強調して、元のデータにフィードバックさせてくれる)のアプリを公開していますが、それを使うと、いろいろとピカソ風の絵を作ることができます。これも医者に見せると、脳の病気の人で同じような絵を描く患者がいるそうです。
羽生:それは逆に言うと、そういう疾患を持った人を補佐するものを作ることができれば、治療できる可能性が出てくるということですよね。
松尾:そうなんです。そうなんです。人間の脳について、マクロの挙動までは分からなくても、工学的に「こうすれば上手くいく」と分かってくると、ある程度解釈できる可能性を広げられると考えています。
羽生:ディープラーニングの用途開発については、日本は出遅れているのでしょうか?
松尾:出遅れています。ですが、たとえばディープラーニングで動く調理ロボットを、“日本品質”で調理ができます、世界のどこでも日本食を食べられますと売り込んだら、めちゃくちゃ需要はあると思います。これは、ロボットを作れて食べ物がおいしい国じゃないとできませんから、日本は得意なはずです。
自動車産業以上に大きくなる可能性
羽生:世界中に回転寿司を作るっていうことですね、目指すは(笑)。
松尾:そういうことです。ロボットはどんどんレベルが上がるはずで、そうなると見本は銀座にある三つ星のお店などにできます。そこから学んだノウハウを回転寿司に入れて、どんどんおいしくすることができるのです。
日本の農業もレベルが高いですから、それを機械化して、海外へ持って行くことができれば、自動車産業以上に大きい産業になる可能性を、秘めているのではないかと感じています。
2016-11-09 13:11