“明治の人は会話の中で「か」と「くわ」を区別していた。昭和20年代になっても、年輩の人で学校の先生だったような人は、「鑑賞(かんしゃう)」と「観賞(くわんしゃう)」ははっきりちがっていた。明治の人でもそうなのだから、江戸時代以前の古典を読む場合、昔の発音で読むのを原則とするならば、当然、「か」と「くわ」を区別して読まねばならない。しかし、今の私たちには、それはたいへんな下準備が必要になる。明治・大正の人は「鑑」「観」「巻」「漢」「完」などを見て、ほとんど無意識に「くわん」と「かん」とを読み分けた。私たちは

“明治の人は会話の中で「か」と「くわ」を区別していた。昭和20年代になっても、年輩の人で学校の先生だったような人は、「鑑賞(かんしゃう)」と「観賞(くわんしゃう)」ははっきりちがっていた。明治の人でもそうなのだから、江戸時代以前の古典を読む場合、昔の発音で読むのを原則とするならば、当然、「か」と「くわ」を区別して読まねばならない。しかし、今の私たちには、それはたいへんな下準備が必要になる。明治・大正の人は「鑑」「観」「巻」「漢」「完」などを見て、ほとんど無意識に「くわん」と「かん」とを読み分けた。私たちはひとつひとつ辞典で歴史的仮名遣いを確かめないと読めない。 鑑賞 かんしやう 干渉 かんせふ 勧賞 くわんしやう 完勝 くわんしよう 環礁 くわんせう これらの漢語は今では「かんしょう」と読み、現代の国語辞典では一個所に並んでいるが、歴史的仮名遣いで振り仮名を付けると、右側に書いているとおり全部違う。これを見ると、辞典を見ないで正しく歴史的仮名遣いの振り仮名を付けられる人は、今の時代ほとんどいないのではないかと思う。専門家ででもない限りそんなことをする必要もないし。”