ナチスドイツをどう考えるのか

アンソニー・ホロビッツは「カササギ殺人事件」で
去年のミステリー関係の賞をいろいろもらった人
刑事フォイルでは最初のうちは別の人の脚本もあったように記憶しているが
最近はずっとアンソニー・ホロビッツの脚本のようだ
一部は他の人が原案を出して、アンソニー・ホロビッツが最後の仕上げに協力したような形もあるのだろう
現在放送中のものは
第二次大戦が終了して、ドイツ・ナチの所業について、また台頭するソ連との戦いについて描かれている
ナチズムの所業については、強制収容所はじめユダヤ人虐殺について、
また精神病者、障害者、貧困者などについての差別、遺伝的優性思想など
欧米の映画作品や文学作品で、繰り返し取り上げられている
絶対悪というような言葉で表現されることもある
ナチズム、国家神道、ソ連共産党、イスラム、中国共産党と、アメリカはいつでも戦ってきた
共産党については、宗教否定であるから、対決するに際してのプロパガンダも容易だったろうと思う
イスラムについては、ユダヤ教を起源とすることでキリスト教と共通であり、
しかも、成立年代が新しいので、それなりに合理的で、現代社会の病弊と向き合っている面もあると思うが、
中東では石油との関わりもあり、社会が成熟途上で貧富の差が激しかったこともあり、
これも攻撃は容易だっただろうと思う
日本の国家神道については、万世一系とか現人神とか精神力で勝つとか、八百万の神とか、
それ自体に明らかな矛盾を含み、宗教の発展段階としては遥かに原始的であり、
ただ単に未成熟としか言いようのないものであったので、
これも、哲学的、文学的掘り下げには値しなかった
ただ一つ、ナチズムは難敵であった
実際の戦闘力、科学技術力、兵器も難題であったが、
思想の面でも難敵であっただろう
それほどに、イギリス・アメリカの思想に近く、お互いの根源は近い
非常に近縁な存在であるナチスドイツの思想とどのように対決するかは
イギリス・アメリカにとって、悪くすると自己否定すれすれのところがあるだろう
実際、米国で行われたアカ刈りのときは、ユダヤ人圧殺の手法と似たところもあったと思う
アウシュビッツの煙突から煙が上がっているとき、神はどこに居たのか
と問いかけるとき、イギリス人・アメリカ人にとって、それは他人事ではなかったはずだ
人種によって差別するのは黒人差別の場合にもあった話だ
経済的な利益を目的として差別をしたこともあり、
宗教によって、また、先祖によって、差別して、虐殺することも、
イギリス・アメリカ自身も身に覚えのあることだろう
先住民族虐殺などもあった
日本人の立場からすると、今は日本人はすっかりアメリカ人と同一化して、
ナチスドイツを哲学的にも心情的にも否定しているのであるが、
宗教も違うし、人種も遠いし、言葉も違うし、日本人の立場でナチスドイツを否定しても
胸が痛むこともないだろうし、自己否定につながることもないし、うつに陥ることもないだろうとと思う
冷静に考えてみると、ファシズム勢力として、
ドイツナチズムと日本国家神道とイタリアファシズムがあったわけで、
イギリス・アメリカから見れば、同じように悪いが、国家神道は思想として未熟、
イタリアファシズムはあまり深い考えではなかったということになるかもしれない
だから熟慮するほどのものではない
ただ、ナチスはそうではない
現在のイギリス・アメリカに匹敵するだけの思想があったのであり
それをどのように否定して、自分たちをどのように肯定するかは、
非常に微妙で、綱渡り的思考だったのではないだろうか
新約聖書と旧約聖書の中に、どのような思想が埋め込まれているものか
思考を自然に展開してゆけばどのような結論になるのか
思わしくない方向に行きそうになったとき、どのようにして回避するか
なかなかのアクロバットだと思う
もちろん、列強による世界分割、植民地経営について、
現在の立場からの批判はいくらもあるだろう
しかしイギリス・ドイツ両者とも、その思想の内部に、そうした思想を内蔵していたのは間違いないだろう
問題は、そのように内在しているものをどのようにして乗り越えたのか
あるいは乗り越えられていないのか
そこが問題である
現代日本では、やはり未熟は未熟のままであり、
中学二年生が、郷愁の中で凛とした明治国家を夢想しているようである
乗り越える試みどころか、夢見ることは昔だけだ
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