日本古典文学は女性大活躍

“年号の話題で万葉集の話が出て、さらに中国文人の伝統の話題になり、
中国伝統の文学の作者たちは、一級の知性で政治家であり、宮廷の権力争いに敗れて、
閑居し詩文を作ったというような見方が一面ではできる
すべてが科挙合格者でもないだろうしすべてが中央政界のサラブレッドだったわけでもないだろうが
極端に言えば、そのような人材が、主に文学に関与し、古典作品を残した面がある
そして現代の識者が言い添えるのは、日本ではどうだったか、である
女性作家が非常に多いことをどう説明するだろう
日本でも、第一級の知性は、当時の外国語としての漢詩文を作ったのであって、その伝統はあった
しかし、明治以降、日本固有の文学的成果をそろえて、学校で教えたい、
しかも、富国強兵、忠君愛国がいいということになって
かろうじて万葉集などが選ばれた
戦後になってその余韻はあるものの、縛りは解除され、
見直してみると、漢詩文はどうしても、中国のものにかなわない、
そこで、二流の知性の作った仮名文字文学が特色あるものとして残る、
結果として、
源氏物語や枕草子など、女性作者の作品が重んじられるようになった
ということだろう
同様の事情はラテン語とその他諸国の方言による文学についてもいえるだろう
現代に近いところでは、ペンネーム三島由紀夫が、エリート官僚として大蔵省に入省し、
退職して、小説を書いた
しかしその作品は、中国古典を形成した引退官僚の書いたものとは大きく異なる
むしろ日本的文学の伝統の中にあると言っていいのではないか
このあたりも、日本語で文学を書けば、そのようにならざるを得ないものなのか、
不思議なような感じがする
もちろん、現代では、中国と言わず、どの国でも、官僚政治家と文人は解離しているのであって、
古代中国の状況のほうが特殊であったということはできるだろうけれども