“我々がコンテストをやる本当の意味は、実は表彰台に登る人を見つけることではない。 光り輝くスポットライトを浴びる人がいる一方で、コンテストの存在自体を知らない人、存在は知っていても応募しなかった人……そういう無数の「まだ見ぬ人たち」の心の導火線に火をつけるのが真の目的なのだ。 俺が以前、ゲーム会社を経営していたとき、頼み込んで副社長をやってもらった男は、天才的なプログラマーだった(実際に天才プログラマーの称号も持っていた)。僕より少し年上で、しかも僕よりずっと優秀だった。 彼と仕事をするようになってから何

“我々がコンテストをやる本当の意味は、実は表彰台に登る人を見つけることではない。 光り輝くスポットライトを浴びる人がいる一方で、コンテストの存在自体を知らない人、存在は知っていても応募しなかった人……そういう無数の「まだ見ぬ人たち」の心の導火線に火をつけるのが真の目的なのだ。 俺が以前、ゲーム会社を経営していたとき、頼み込んで副社長をやってもらった男は、天才的なプログラマーだった(実際に天才プログラマーの称号も持っていた)。僕より少し年上で、しかも僕よりずっと優秀だった。 彼と仕事をするようになってから何年かして、ふと「そもそもなぜ君のように優秀な人が、僕のために働いてくれるのか?」と改めて聞いたことがある。 すると彼はこう答えた。 「清水さん、高校生のときのこと覚えてますか?」 俺は困惑した。なぜ高校の頃の話を彼がするのだろうか? 彼とは故郷も違えば学校も違う。何の接点もない。 「いやぁ、あんまり覚えてないな」 正直にそう答えた。すると彼は言った。 「1993年の月刊I/Oの2月号、僕はまだ家に取っておいてあるんですよ。付録の5インチフロッピーも一緒に」 それは自分でも忘れていた、初めて雑誌にプログラムを投稿したときの掲載号だった。 「このプログラムを印刷して、”こいつには絶対に負けない”と書いた。自分より若いやつに負けたくない一心で死に物狂いで勉強してきたんですよ」 そのとき俺は、自分がたんなる人柱に過ぎなかったことを知った。おそらく彼だけではあるまい。 若くて目立つ人物が登場すると、その裏側には無数の「まだ見ぬ天才」が目を覚ますのだ。”