目標としての善 手段としての悪 手段としての善

許される悪はあるのか
たとえばバットマンの場合
彼が達成したい正義の為には
些細な悪は許されるのか
あるいはそうではなくプロセスとしての善が求められているのであって
結果としての善は二次的なものであるのか
つまり、スーパーマンのように、善なる手段により、善を達成することのみが正しいことなのか
しかしそれでは善の実現はますます困難になるのではないか
遅すぎると批判も出るだろう
理想主義的すぎると反論も出るだろう
多分、二段構えがいいのであって、
バットマンもいて、スーパーマンもいるのが良いのだ
目標としての善を達成するためには多少の悪には目をつむらざるを得ないという立場の人と
むしろ、目標としての前途は、プロセスの全そのもののことであって、
その結果の達成としての結果の善は二次的な産物であるとする立場の人がいて、
それは重なり合いつつも、分離し、拮抗している