今日,少なからぬ人が,優生学は,戦争に向けた富国強兵政策の1つであると考え,またその視座から優生学を批判する。そういう事実がまったくなかったわけではないが,しかし,この見方は今世紀の優生学のかなりの部分を逆に見えなくさせる。前述のシャルマイヤーをはじめ,多くの優生学者たちは,戦争を「逆淘汰」(生物学的に「優秀」な者が減り,「劣等」な者が逆に増えること)の1つとして真っ向から批判したのである。
プレッツは,優生政策を実現するうえで,ヒトラーに大きな期待をよせ,ナチスに接近していったが,同時に,戦争回避と平和の維持をもヒトラーに懇願していたのである。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 75-76
プレッツは,優生政策を実現するうえで,ヒトラーに大きな期待をよせ,ナチスに接近していったが,同時に,戦争回避と平和の維持をもヒトラーに懇願していたのである。
米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 75-76
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戦争をすると、国を守る責任感が強い、勇気がある、仲間を守る、などの理由から「優秀」な者が先に死んでしまう。
「劣等」な者があとに残ることは当然かもしれない。
こね、金、狡猾さなどから、自己の保身を優先させた人たちは生き延びる。
ここで優秀と劣等という言葉は「」つきである。
なぜなら、自己の保身を優先し、子孫を残したものが、結局優秀かもしれないのだ。