理性と右翼的運動

あくまで理性を信じる
という態度を一貫しないと
すぐに右翼になってしまうのだろう

しかし理性を信じると言っても
一つは科学技術に対する信頼が根本的理由になるのだが
原発から環境破壊から理性が生み出したものの後始末を
理性が付けられないでいる

また理性の延長に人工知能があるのだが
人工知能は完全に人間の脳を超えてしまうことが確実になった

そんな中で理性を信じるというのは
人間よりも人工知能を信じるという態度に通じるかもしれない
いろいろと厄介な話がある

一部で言われることだが
フランス革命は理性への信仰の結果であり、
それは最終的には独裁に行きついた
理性信仰の究極は独裁であるという観点も無視できない歴史的考察だろう

理性を相対化する運動がしばらく吹き荒れて
いま、理性の権威は回復できないままである
真実の相対化というようなことを言われて
反知性主義といったような、一部に懐疑主義、一部に理性否定主義、
一部に歴史的相対化主義、などがあり
理性主義を尊重するとしても行き先がわからず、途方に暮れる