比べるのは、「昨日のわが子」

比べるのは、「昨日のわが子」。これを忘れないために。
「Appleになれない日本のメーカーはダメ」とか、「北欧並の社会保障がない日本はクソ」といった主張を耳にするたび、苦笑しながら自戒する。同じ愚を犯していないだろうかと自問する。近所で/クラスで/学年で、一番デキる子と比べ、「○○ちゃんを見習って…」と子どもを責める馬鹿親にならないために。
  転職の自由はアメリカと比較され、
  仕事を休む自由はドイツと比較される。
  社会保障の充実はスウェーデンと比較され、
  バカンスの充実(と長さ)はフランスと比較される。
  国内総生産は中国と比較され、
  国民総幸福はブータンと比較される。
  イイとこと見たらアラも目立つ。
  にもかかわらず、己が主張をオっ立てて、
  「○○と比べて日本はダメだ」を連呼する。
日本のスーパーのトマトは、「桃太郎」と「プチトマト」しかないという。イタリアは何十種類もトマトがある。だから日本の食は貧しいと嘆く話がある。もう分かるね、どこが可笑しいか。
  「○○ちゃんを見習って算数を勉強なさい!」
  「スイミングスクールは△△ちゃんを目標に!」
  「□□さんボランティアで表彰されたんだって!」
なんてワメくバカ親といっしょ。他人と比較して、子どものダメ出しを正当化する。否定により優位に立とうとする。この態度、詭弁術としては正しいが、見習って欲しくない。子どもは、親の言うことなんて聞かないが、親の真似は恐ろしいほど上手い。うっかりすると、真似される。
というか、その会社の社員の扱いのクソ具合を知ってるか? その国の強盗の発生率を知ってるか? 日本を叩くためにiPhoneと北欧の社会保障「だけ」持ち出す人は、そんな馬鹿親に育てられたんだと考えることにしようそうしよう。
いっぽうホッとしてもいる。そんな馬鹿親に育てられたにもかかわらず、「○○と比べてダメな自分」に気づいてないから。もし気づいてしまったら、恥ずかしさのあまり自壊しかねないから。
大事なことなので、もう一度。比べるのは、「昨日のわが子」。