“戦争行きたくない という言葉をとらえて 若者が自分の国を守らないでどうする とかの話にもなる様子だ もう少し細かく考えてみると 1.紛争は嫌だ、積極的平和で行こう、普段からの積極的交流 2.紛争が起こるのは仕方がない、しかし紛争解決としての戦争は嫌だ、べつの解決をしよう、外交経済交渉 3.邪悪な相手が領土拡大の機会を伺っている以上は戦争準備をするしかない。相手が怖がる程度の抑止力を誇示することが必要である。 戦争行きたくない という言葉は1.または2.のレベルでの発言である それをわざと3.のレベル

"戦争行きたくない

という言葉をとらえて
若者が自分の国を守らないでどうする
とかの話にもなる様子だ
もう少し細かく考えてみると
1.紛争は嫌だ、積極的平和で行こう、普段からの積極的交流
2.紛争が起こるのは仕方がない、しかし紛争解決としての戦争は嫌だ、べつの解決をしよう、外交経済交渉
3.邪悪な相手が領土拡大の機会を伺っている以上は戦争準備をするしかない。相手が怖がる程度の抑止力を誇示することが必要である。
戦争行きたくない という言葉は1.または2.のレベルでの発言である
それをわざと3.のレベルで返すあたりに、どうしようもない好戦性というか知性の劣化というかが現れている。
1.2.3.の割合がどの程度かで、国民としての知性とか倫理性の程度が測定できると思う。

3.は、邪悪な人間が自国民を恐喝するやり方で、倫理的に最悪なもので、非国民と個人攻撃するとか、密告組織を作るとか、万歳と叫び続けて特攻隊員にしてしまうとか、お国のためとか陛下のためとかいいながら他人を抑圧する方式である。学校からいじめがどうしてもなくならないのと同じ、悲しい現実である。"