実験でこういう例があります、こういう難しい名前の理論があります、などという話を挟みながら 主張を構成するというのは分かりやすくていいのだけれども 実際はたいていは、それとは反対側を強調するような実験もあるし、 反対側の事情を説明する難しい理論もあるわけで 大変恣意的に結論を作り上げることができる あるいは結論が決まっていて、その補強のために適切な実験や理論を選ぶこともできる 週刊誌記事だからこれで問題はないけれども 心理学や脳科学はそうした側面が強いと思う 放射能の専門家も都合のいい実験と理論だけ言う

採録して紹介
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脳とナショナリズムと戦争の意外な関係
人類は集団行動を取ることで猛獣から身を守り、生き延びてきた。
だが、祖先から引き継いできたこの特性が、戦争を生み出す可能性を秘めている。
なぜ、こんな皮肉なことが起きるのか。
先日、中野先生とある方によるライブ対談にお邪魔する機会がありました。その場で話題に上った「青シャツと黄シャツ」のエピソードにハッとさせられました。教育とナショナリズム、戦争の関係を考えるのに役に立つのではないかと思ったからです。
中野 身びいきについて調べるために行われたこんな実験の話でしたね。
 6~9歳の白人の子供を集め、青いシャツを着るグループと黄色いシャツを着るグループに無作為に分けます。そして、それぞれのメンバーがそれぞれのグループに属していることを毎日、意識させるように仕向けました。例えば、「青シャツグループのロバート君」と呼びかけるとか。青シャツグループと黄シャツグループに同じテストを受けさせ、グループごとの平均点を知らせるとか。
 こうしたことを1カ月にわたって続けた後、面白い反応が確認されたのです。「競争すると、どちらが勝つか」と聞くと、67%の子どもが「自分の集団が勝つ」と答えたのです。また、グループ替えをするなら、今度はどちらのグループに入りたいかと問うと、8割以上の子供が「今のグループがよい」と応じました。こうした身びいきが生じることを「内集団バイアス」と呼びます。
小学生の時、隣のクラスはまるで外国のような存在であったことを思い出します。比較したわけでもないのに、自分のクラスこそが最も素晴らしいクラスだと信じて疑いませんでした。できればクラス替えはしたくなかったですね。
中野 あの時の対談ではお話ししなかった、「泥棒洞窟実験」というものがあります(注:泥棒洞窟は地名)。
 10~11歳の白人男子で構成する2つの集団を近くの場所でキャンプをさせました。最初の1週間はそれぞれの存在を知らせずに過ごさせる。次の週に、偶然を装って、両集団を引き合わせました。その後、綱引きなどのゲームをして競わせ、お互いの対抗心を煽るように仕向けたのです。
 その後、両集団の親睦を図るため、食事を一緒に作って食べたり、花火をしたり、イベントを催したのですが、結果は親睦どころではありませんでした。相手の集団が使うキッチンにゴミを捨てたり、殴り合いのけんかを始めたり、相手の集団の旗を燃やしたり、まるで戦争が勃発したかのような行動が見られたのです。
 たった3週間のことですよ。お互い、なんの怨恨もないのに。
愛国教育が敵対心につながる可能性
なるほど、そんな実験もあるのですか。どちらの実験も、とても興味を覚えます。
 最初の実験は集団への帰属意識を高める教育を行うと、「自分が属するグループの方がそうでないグループよりも優れている」と認識するようになることを示唆している。さらに、今、ご紹介いただいた2つめの実験から、2つの集団を競わせる環境に置くと、自分が属すのでない集団に対して敵対心を抱き、“紛争”まで生じてしまう。
 ナショナリズムはこのようにして生まれるのか、という印象を持ちました。
中野 そうなのです。
 「ナショナリズム」というと、為政者が国内での求心力を高めるために、外敵への敵対心を煽り、その結果として現れた志向や行動、と思われる方が多いかもしれません。しかし、ご指摘の通り、帰属意識を高める措置が、他の集団に対する敵対心を煽ることにつながる面もあります。
 内集団バイアスがもたらすデメリットは、自分が属すのでない集団に対する敵対心を生むことだけではありません。自分が属す集団内において「排除」の論理が働くようにもなります。
 集団を壊す最大の脅威は何か。それは外敵よりも内部の裏切者だからです。みなが少しずつ協力している集団があったとします。この集団にとっての脅威は、協力しない人が現れることです。協力しないにもかかわらず集団に属すことのメリットを享受する人、つまりフリーライドが認められると、周囲の人たちも次第に協力しなくなってしまうからです。
 このため、集団は協力しない人に制裁を加えようとします。「制裁」というと何か奇麗な表現ですが、要は「いじめ」です。
 ただ、人間の脳が持つ内集団バイアスにはメリットもあります。集団内の「協力」をプロモートすることです。人間の体や能力は完全なものではありません。例えば足は遅く、猛獣に追われたら逃げおおせることはできない。人間は集団となって協力することでこの不完全さを補ってきました。集団となって協力する方が農業などのプロジェクトを進める際にも好都合です。したがって、集団となって協力する人々の方が生き残り、子孫を残してきたのです。
 内集団バイアスにはオキシトシンという脳内物質が影響しています。「幸福ホルモン」と呼ばれることもある物質です。これが働くと、対象に対する愛着が増します。一方で、偏見や妬みが増すネガティブな影響があることも分かっています。
なるほど。脳の働きはそういう化学物質に影響を受けるのですね。脳科学の醍醐味です。ちなみに、何かを食べるとオキシトシンが増えたりするものでしょうか。
中野 食べ物よりも、スキンシップで増えること分かっています。
通常は親近感を高めるためのスキンシップが偏見や妬みにつながる可能性がある。なんとも皮肉な話です。内集団バイアスがもたらすメリットが大きいだけに、なんとも悩ましい話ですね。内集団バイアスをなくすことはできないのでしょうか。
中野 残念ながらできません。自分が帰属する集団を大事に思う気持ちは自然なものだからです。家族を愛する気持ちや、“ふるさと”“おらが村”を愛する気持ち――パトリオティズム――を持つのは自然なことです。
 仮にこうした気持ちを抑えることに成功したとしましょう。しかし、その人は「病気」もしくは「人間らしい気持ちが欠落した人」と言われて、その人こそ排除の対象にされてしまうでしょう。この意味でも、内集
団バイアスを止めることは困難なのです。
集団同士を協力させる研究が進む
中野 ただ、異なる集団がどうすれば協力できるようになるかを数理社会学者たちが研究しています。
え、そんな研究分野があるのですか。
中野 はい。そこでは、今のところ、協力させることは難しいということが分っています。
 ある集団とある集団が利益を共有して協力する状態を「メタn人協力」と言います。残念ながら、これを実現するのは容易ではありません。協力を促す危機や敵を設定する必要があるからです。それも「将来の危機」のような漠としたものではダメ。「目の前の差し迫った危機」が生じない限り、なかなか実現しません。
不仲な国と国がメタn人協力を実現するためには、それこそ宇宙人が攻めてくるような事態が発生する必要があるわけですね。
中野 そういうことです。
見えない要因を無視してしまいがち
中野先生はご著書『脳はどこまでコントロールできるか?』の中で、人間の脳が「誤った認識」を持つ事例をたくさん紹介されています。この中の「論理誤差」というのも、自分が属す集団とは異なる集団に敵対心を持つことにつながるもののように読めました。
中野 そうですね。例えば、専業主婦が当たり前だった時代を生きた女性は、家事もせず、子供も持たない現代の女性を理解しない--というのが論理誤差の例です。自分の常識だけをもって他人を評価してしまう。現代は夫の収入だけで生活するのは難しい環境です。そうした“見えない要因”を考慮することなく、自分の常識だけで測ってしまう。
よく中国の人が電車に乗る時、列に並ばないことをもって、「彼らはルールを守れない人だ」と断じる人がいます。本当はそんなことないのですが。例えば、中国では高速鉄道に乗る際に荷物検査があります。その時にはみな、大人しく並んで待っているそうです(関連記事「新幹線放火事件で荷物検査を中国に学ぶ」)。
中野 それも論理誤差の例と言ってよいでしょう。
恋愛は脳を麻痺させること
そして、人間の脳は、自分の常識とは異なる常識に基づいて生きている人々を蔑視したり、敵視したりしてしまう。
中野 はい。それは知性の脆弱性によるものです。知性がなければ、自分の常識とは異なる常識があることを、想像することも、理解することも難しい。しかし、知性の働きがある程度弱く、目先の欲求に従順な方が、子供を残し「種」を保存することに適している。
複雑な話ですね。知性の働きが弱い方が、子供を残しやすいのですか? それは、どういう理屈なのでしょう?
中野 森さんは「知性」にどういうイメージを持っていますか。
うーん、考えたことがありませんが…。思いつきで言うと、物事を合理的に判断する能力で、それを発揮することでハッピーなことがある。
中野 知性は、簡単に言うと想像力、そして損得を判断する能力のことです。
 生物には2つのミッションがあります。1つは自分という「個」が生き残ること。もう1つは、子孫を作り、種を残すことです。前者の「個」として生き残ることに知性は有効です。餌をうまく採る、つまり利益を得るためには知性が必要ですから。
 しかし、後者の種を残す行為は決して個体にとって利益の大きいことばかりとは言えません。例えば女性の場合は、出産することで自らの命を危険にさらすことさえあります。ここでは知性がマイナスに作用します。
確かに。男性にとっても、自分の自由になるお金も時間も減ってしまいます。責任が重くなります。
中野 そうですよね。なので、人間は恋愛をするのです。恋愛というのは知性を麻痺させることです。知性を麻痺させ、合理的な判断力を低下させなければ、ヒトは、種を残すという個体の生存にとって不利益になる行為ができないのです。このことに思い至った時、私は愕然としました。
種を残すためには、知性が働かない方が適している。しかし、知性が働かないと、自分の常識とは異なる常識を理解できず、差別が生じてしまう。つまり、種を残すためには、こうした蔑視を許容するしかない。なんとも、脳の働きというのは皮肉なものですね。
敵対心は集団の中で増幅する
さらに皮肉なことに、脳がもたらすこうした誤った認識が、集団になると拡大したり、さらに過激になったりするんですね。
中野 そうなのです。脳に対して「同調バイアス」と呼ばれる作用が働くことがあります。これが働くと、人間は集団の中で無難な態度を取ろうとします。目立つと攻撃されるリスクがあるので、これを避けようとするのです。ファッションなどに顕著に表われます。
 同調バイアスが働くと、多数派の意見が間違っていると思っていても、それに反論することなく従ってしまうようになる。
「集団性バイアス」というのも同じようなものですか。
中野 少し違います。こちらは、集団の中にいると、主張が過激化することを言います。武勇伝が典型例ですね。戦争中には、何人の人を斬ったかを誇り、その数の多さを勲章であるかのように語ったりする風潮があったといいますよね。
 ある人が好戦的な発言をすると、次の人がさらに好戦的な発言する。これが繰り返され、1週間たったら、最初の人の主張が最も穏健な主張になっていたりする。
ああ、なるほど。自分がどれだけモテたかの自慢話をしている時に表われますね。誰かがこれまで付き合った彼女の数を誇ると、ついつい、それより多い数を言ってしまう。きっと誰しもが経験していることです。
中野 はい。この作用が国家のレベルで起こると恐ろしいのです。第二次世界大戦の時にはこうした作用が働いていたのかもしれません。
先ほど、個々の脳が、他の集団に対して敵対心を抱いたり、蔑視したりすることを止めるのは難しいと伺いました。ならば、それらが集団の中で拡大したり、過激化したりするのを避ける術を考えなければならないですね。
中野 そうですね。しかし、それも
難しいのです。先ほどお話しした「メタn人協力」が1つの解です。しかし、これを実現するには敵を作らなければなりませんから。
勝海舟は江戸無血開城をどう実現したのか
中野先生は歴史を取り扱うテレビ番組に出演していらっしゃいます。歴史的な出来事の中で、対立する2つの集団が協力しあえたケースはあるでしょうか。
中野 明治維新の時の江戸無血開城は、そのような奇跡的な事例と言えるのではないでしょうか。攻める官軍、守る徳川勢。どちらの集団にも主戦派がおり、官軍を率いる西郷隆盛も、徳川方を束ねる勝海舟も容易に譲歩はできない状況です。人間は、生存することよりもイデオロギーを優先しようとする傾向を持つ、特殊な動物です。
徳川方の兵士にすれば、徳川家のために城を枕にして死ぬというイデオロギーに殉じることが、城を出て生き延びることよりも大事だったわけですね。
中野 そう思います。そのイデオロギーを守ることが脳にとって快感なのです。
 そうであるにもかかわらず、無血開城が実現した。例えば勝は、その快感を上回る利益を配下の兵士たちに提示できたのでしょう。「ここで官軍に城を譲ることが、自分たちの名誉を高めることにつながる」と思わせることで配下の人々を説得したのかなと想像します。
先ほどうかがったメタn人協力の話に照らして考えると、英仏をはじめとする列強が宇宙人の役割を果たしたのでしょうか。いつまでも内戦を続けていれば、その隙を突かれないとも限りません。
中野 そうですね。勝はその不安要素を巧みにちらつかせて、徳川方をまとめたのかもしれません。
敵がいなくても協力できる仕組みが作れればよいのですが。
中野 こんなエピソードがあります。先ほど、泥棒洞窟実験についてお話ししました。食事も花火大会も、友好的な関係作りに効果はなく、むしろ紛争が勃発する原因となってしまったのですが、お互いが協力しないと解決できない課題を課したところ関係の改善がみられたのです。
 例えばキャンプ場の水道管を壊す。一方の集団が上流で水を止めていないと、もう一方の集団が下流で修理作業できない状況を作りました。またトラックを他の作業の邪魔になる場所に駐め、故障させた。どちらも、2つの集団が協力して復旧に当たらないと、1つのグループだけではどうすることもできない状況というのがポイントです。このような操作を行ったところ、困難を克服すべく、互いに敵愾心を持った2つの集団が、協力し合いました。そして最後は、相手の集団と「一緒のバスで帰りたいね」と言い出す少年まで現れたのです。
国と国の関係に置き換えると、共通の敵に対処するのではなく、自然災害やパンデミックへの対処で協力することが関係改善を促す可能性があるわけですね。ぜひ、そうありたいものです。
中野 全くそうですね。
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実験でこういう例があります、こういう難しい名前の理論があります、などという話を挟みながら
主張を構成するというのは分かりやすくていいのだけれども
実際はたいていは、それとは反対側を強調するような実験もあるし、
反対側の事情を説明する難しい理論もあるわけで
大変恣意的に結論を作り上げることができる

あるいは結論が決まっていて、その補強のために適切な実験や理論を選ぶこともできる
週刊誌記事だからこれで問題はないけれども
心理学や脳科学はそうした側面が強いと思う

放射能の専門家も都合のいい実験と理論だけ言うし
経済学者も同じ