「英語押しつけで日本人は愚民化」

“「英語押しつけで日本人は愚民化」
■安倍政権は米国に追随したいだけはないか

 安倍政権は安保法制で何を守ろうとしているのか。根本的な問いかけをしている話題の書が、施光恒・九大大学院准教授が著した「英語化は愚民化」(集英社新書)である。米国の繁栄を前提に、とことん米国に追随しようとする安倍政権は安保政策やTPPで尻尾を振るだけでなく、ついには英語の事実上の公用語化に動き始めている。英語教育の充実は当たり前のように思われがちだが、それによって、強制的に国の形、文化、働き方が変えられてしまう恐れがある。その先に何があるのかを著者に聞いた。

――タイトルは非常に刺激的というか、英会話ブームの今の日本の風潮を真っ向から否定するものですね。この本を書かれた動機は?

 楽天やユニクロが社内の公用語を英語化したでしょう? 同じ頃、安倍政権が日本社会全体を英語化する政策を推進し始めた。たとえば、産業競争力会議の下にあるクールジャパンムーブメント推進会議は「公共の場での会話は英語のみ」という英語公用語特区をつくる提言をしました。日本国内であるのに日本語を「使ってはいけない」区域をつくるという信じ難い提案です。教育行政でも、英語による授業の割合を増やす大学には巨額の補助金を与えるようになり、文科省は一流の大学は10年後に5割以上の授業を英語化せよ、とまで一昨年言っている。その背景には、グローバル化の時代なのだから仕方がないという発想があるのですが、本当にグローバル化の流れは必然なのか、良いことなのか。その波に乗ることで、日本の強さの基盤が破壊されることはないのか。そうした根源的な疑問を持ったんですね。

――小学校でも間もなく英語が正式教科になりますね。

 そうなれば、中学入試の科目に英語が入ります。教育熱心な家庭は小学生を英語圏に短期留学させるでしょうね。父親は日本で稼ぎ、母子は外国で暮らす。そうやって英語が上達した子が、日本のエリートと目されるようになる。しかし、こうした英語偏重教育は当然、日本語の力に跳ね返ってくる。母国語である日本語が怪しいエリートたちに、果たして深い思考ができるのだろうか。英語はできるが思考力のない植民地エリートのような人々が仕切る政治や行政は、一般の国民が求めるものとはかなりずれたものになる。これが怖いのです。

――こうした英語化推進は「国家百年の計の過ちである」と書かれていますね。

 ビジネスや大学教育など日本の社会の第一線が英語化されてしまうと、どうなるか。英語がしゃべれるか否かという教育格差が、収入など経済的格差に直結し、究極の分断社会が誕生します。どんなに他の能力が高くても英語力を磨く余裕がないというだけで、中間層の人々は成長したり、能力を磨いたりする機会を奪われる。日本の誇る中間層が愚民化を強いられ、没落するのです。また、日本語が高度な議論の場で使われなくなれば、日本語そのものも最先端の用語を持たない遅れた言語となり、国民の愚民化に拍車が掛かる。一方で、英語がしゃべれるだけのエリートもまた、深い思考力や洞察力を持てないから日本全体が愚民化していきます。

――でも、英語がしゃべれるようになるのは悪いことじゃないでしょう?英語化に熱心な楽天の三木谷さんは「第2公用語を英語にしたら、日本の経済はシンガポールのように超強くなる」と言っていますよ。

 英語化によって日本の知的中間層が衰弱したら、日本経済の再生など不可能です。ちなみにシンガポールは超格差社会で、民主主義国家ですらないのです。グローバル化の流れに乗れば、国民が幸福になるというのは幻想です。

――今の日本を覆っているのが、米国流のグローバルスタンダードに従うべきだという風潮です。

 安保法制にしても、TPPや英語公用語化の動きにしても、何が日本の利益になるのかはっきり見えない。結局、米国に追従したいだけではないか。こうした問題への対応を見ていると、今の政府が、まるで自分たちをアメリカ人であるかのように錯覚しているのが分かる。すでに植民地エリートになっているのかもしれません。

■英語しかしゃべれない植民地エリートが国を壊す

「安倍政権に強い危機感」と訴える施氏(C)日刊ゲンダイ

――英語を公用語化すれば、グローバル企業が参入し、日本人もそこで働けるというのが狙いなのでしょうが、この発想も植民地的ですね。

「経済的利益のためなら日本語をないがしろにしてもかまわん。言語はしょせんツールだから」と英語化推進派は思っているようです。しかし、経済的利益などあまりないし、それよりも何も、言語は私たちの知性や感性、世界観をつくっているのです。例えば、日本語は私、俺、小生などさまざまな一人称がある。時には子供の前で自分を指して『お父さんはね』などとも言う。相手を呼ぶ場合もあなた、君、おまえから、先生、課長などいろいろです。日本人は常に相手との関係を考えて話をする。それが互いに思いやる文化をつくってきた。一方、英語の一人称は常にIだし、二人称もYouだけです。英語を母国語とする人は、最初から自分が中心にいるのです。

――日本人の気配り、欧米人の自己主張。そういう民族性の違いは言語に起因すると?

 我々は言葉から自由になれないし、その言語がつくり出す文化に縛られているのです。たとえ英語がペラペラになっても、彼らの文化やルールの上で、米国人や英国人と対等に勝負できるかというとそうではない。結局、日本人がグローバル資本の奴隷になるだけです。つまり、英語はそこそこ話せるけれども高度な思考はできないといった、安価で都合のいい現地雇いの労働者の量産が狙いでしょう。

 非英語圏の星である日本までが英語化すると、世界全体も不幸になります。英語圏諸国を頂点に置くピラミッドのような「英語による支配の序列構造」がさらに強固になるからです。つまり、英語のネーティブの特権階級が上にいて、その下に英語を第2公用語とする「中流階級」ができる。その下に英語を外国語として使う「労働者階級」が存在する。そういうピラミッドが不動のものになる恐れがあります。

――このピラミッドの下の方から、日本人が抜け出すことは難しそうですね。

 この言語による不公正な格差構造のある世界を、日本人はグローバル社会と呼び、称賛する。グローバル化って、マジックワードなんですよ。本当は違うのに、進歩した世界に聞こえてしまう。役所でも、グローバル化対応予算などというと、すんなり通りやすくなる。

――村より国家、国家より地域統合体、理想は世界国家みたいな考え方ですね。しかし、EUは地域統合で行き詰まっていますね。

「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」で話題のフランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、グローバル化の進展に伴って、EU各国内での民主主義が機能しなくなっていると警鐘を鳴らしています。

――EUの閉塞状況こそを参考にしなければいけないのに、日本は周回遅れのランナーのように、グローバル化と叫んでいる。

 安倍首相は当初、「瑞穂の国の資本主義」というスローガンを掲げていたのに、真逆の方向に進んでいます。安倍さんのナショナリズムというのは日本の文化や言語を大事にするのではなく、米国がつくった評価システムの中で日本のランキングを上げるという発想です。私はそれをランキング・ナショナリズムと呼んでいます。米国の覇権を前提にして、日本がなるべく米国に近い位置を占めようとする発想です。

 グローバル化の荒波からいかに国民生活や文化を守るかが問われているのに、国民経済の安定を目指すべき経産省がグローバル化をあおり、日本文化を守るための教育を担う文科省が日本を破壊する英語公用語化の旗を振っている。米国への従属から脱する気のない政府に強い危機感を覚えます。”
2015-08-03 11:35