名家、富裕層が、自分の子孫を幸せにしたい気持はよく分かる しかしその分断が極端になれば革命に至る 逆に、全員を平等に教育して、個々の才能に応じた地位を与えるとすると やはり革命に至る

名家、富裕層が、自分の子孫を幸せにしたい気持はよく分かる
しかしその分断が極端になれば革命に至る
逆に、全員を平等に教育して、個々の才能に応じた地位を与えるとすると
やはり革命に至る
この中間に、富裕層の唯一の選択がある
富裕層が自分たちの子孫だけを教育すると
貧困層のなかにいる才能が埋もれてしまい
国際競争に負けてしまう
しかし大衆をあまりに教育しすぎると
自分たちの子孫が優位を保てなくなる
お金がなければ十分な教育が受けられない仕組みにしておけばいいだろうと考える
全体の教育程度を上げたいときは教育費の負担を軽くする
これである程度は調整できる
たとえば、昔の大名のようなもので、大名の子孫も大名であるためには
大名を支える優秀な人材が必要であるが
優秀な人間が大人数になっても困るし
大名よりも、あまりに優秀でも困る
しかしまた、隣の藩があまりに優秀になっても別の意味で困る
結論としては、子孫には周囲の大多数の人間よりも優秀であってほしい
周囲の人間は子孫をうまく支える程度に優秀であってほしい
その他の人間はただ労働していればいいので
何も考えず、労働力として優秀な、ロボットのような存在でいてほしい
というわけだろう
あからさまに選別して教育するわけにも行かないので
教育費で分断する
しかしながらそうすると社会全体の知能が低下してしまい
国際競争力を失う
勤勉さもなく、新規の発明もなく、後発国にただ追い抜かれるだけの現状は、
最近数十年の教育の結果である
それは富裕層が日本の国際的優位は決まった、次の目標は
自分たちの優位を次の世代にも保持したいと考えたからだろうと思うが
結果として、日本の国際的優位を失ってしまった
これが富裕層の判断だったのか、日本にこれ以上優位に立たれては困ると考えたアメリカの判断だったのか、
両方だったのか