“
瀬戸際外交、ならず者国家、などと言われて、
国際的非難を浴びながら核兵器を製造し、大陸間弾道ミサイルを開発し、
経済制裁をやめろ、資金援助しろ、体制維持を保証しろなど要求していると報道されている国がある
その国が実際にどうであるかは報道で知るしかないのでよくわからないが
個人のレベルでも同じような人はいる
みんなで仲良くしましょうというのではなく、
私の要求を聞かないと、みんなが困るようなことをしてしまうよ、それでもいいのか、
といって、周囲の人間を動かして操る
周囲の人間は、強硬策に出ると実際に困ったことをされてしまうので、要求を呑むしかない
それが積み重なるとだんだんどうしようもなくなって
周囲の人間の中に精神的に行き詰る人が出てくる
嫌われても好き勝手したほうがいい
という価値判断はどうして出てくるのだろう
優しい社会に寄生しているようなものだろうか
たしかに自分の利益を最大化できるようでもあるが
皆に嫌われて達成してもあまりうれしくないだろうと思うのだが
どのようなこころのメカニズムになっているのだろう
そのような意味で、心の中の天秤が壊れているような気はする
小さな話では、家庭でのテレビのチャンネル権、食べ物・お菓子の優先権、
お風呂の優先権、ゲームの優先権、気に入らなかったら暴力をふるう権利など
多少我慢して妥協しても、よい子だと思われたいという気持ちを大きくするにはどうすればよいのだろう
自分は人に嫌われても、嫌がられる戦略を続けて、自分の利益を守る人間である、
いい人だと思われるよりも、現実の物質的利益を確保したほうがいいと思う人間である、
そのようなアイデンティティを持つにいたる経過はどのようなものだろう
するとやはり、もともとの資質と、過去の対人関係の中で経験したことが基礎になっているのだろう
その意味で愛着の歴史を振り返ってみたいのだが
簡単ではない
“