“わたしたちをつつみこんでいる実際の世界がどんなにつよく堅牢にみえようとも、わたしたちは、身一つのちっぽけな現実を生きながら、そのうちにあって、めいめいがこの世界とがっぷりと四ツに組んで、生きている。そうしたみえない力わざをささえる筋肉の一本一本の、微妙な生きいきとしたふるえる一つひとつのちいさなうごきや、そのうえをつたって流れる汗のつぶつぶ、光りまでもがあざやかにみえてくるような言葉を日々にきざみたいと、わたしはねがった。全体が細部にあつまってきて細部から全体にひろがってゆく、いわば感情のみえない火線を、詩の言葉がわたしたちの孤独のなかにつくりだすことができたら、よろこぶべきだ。そうであれば、わたしたちがそれぞれの孤独から立ちあがって、「たがいにみつめあうのではなく、一緒におなじ方向をみつめる」(サン-テグジュペリ)というしかたで、はじめてたがいをかたわらにかんじ、みとめあうということもまた、あるいはできるかもしれない。”
長田弘 「書くこと」