この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ

この詩を一気に有名にしたのは、井伏鱒二の名訳です。
即ち後半の二行、「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳されたものが寺山修二や井伏鱒二の弟子、太宰治の小説やエッセイなどの中で広く有名になっていった訳です。
井伏鱒二の名訳はこちら。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
この意訳で、後半の二行だけを読むと何か意味を取り違えてしまいそうになりませんか(笑)
ちなみに私は全文知るまで間違えてました。
さよならだけが人生だ、とは物凄く突き放した、そっけない言葉とも取れますし、花に例えられていることもあって、人生とは花のように儚くすぐに別れてしまうものだ、的な捉え方、できません?(笑)
実は本来の意味は、
「さよならだけが人生だから、今この出会い、時間を大切にしよう」
ということなんだそうです。
今この酒を飲み干して今を楽しく生きよう、すぐに別れは来るけれど今はここで膝を突き合わせているから、ということですね。
本来の意味合いを知ってから、この詩は私のモットーになりました。
それにしても、名訳過ぎますよね。
ちなみに寺山修司はこの名訳の後に、
「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」
と歌ったそうです。