” 皆さんは『自閉症スペクトラム障害』を知っているでしょうか。 『自閉症スペクトラム障害』は、以前は『アスペルガー症候群』と呼ばれ、その名が独り歩きしていた障害です。 障害名を聞いたことがある人は多いと思いますが、名前から病気の全体像を掴める人は多くなく、以前はなんとなく変わり者の、空気を読めない人間のことを、まとめて陰口混じりにこう呼ぶ傾向があったように思います。 そんな一般社会の混乱を知ってか知らずか、医学界は少し前に『アスペルガー症候群』を含むその他の自閉症も包括して、『自閉症スペクトラ

採録
皆さんは『自閉症スペクトラム障害』を知っているでしょうか。
『自閉症スペクトラム障害』は、以前は『アスペルガー症候群』と呼ばれ、その名が独り歩きしていた障害です。
障害名を聞いたことがある人は多いと思いますが、名前から病気の全体像を掴める人は多くなく、以前はなんとなく変わり者の、空気を読めない人間のことを、まとめて陰口混じりにこう呼ぶ傾向があったように思います。
そんな一般社会の混乱を知ってか知らずか、医学界は少し前に『アスペルガー症候群』を含むその他の自閉症も包括して、『自閉症スペクトラム障害』という名で呼ぶことを決めました。
『自閉症スペクトラム障害』という病名を知らなくても、『発達障害』なら聞いたことがあるという人もいるかもしれません。
『発達障害』は『自閉症スペクトラム障害(ASD)』、『学習障害(LD)』、『注意欠陥/多動性障害(ADHD)』の3つの障害の総称です。その中でも自閉症スペクトラム障害は、その影響が直接的に人間関係にまで及ぶため、問題が複雑化しやすい障害です。
私は、そんな『自閉症スペクトラム障害』を持って生まれてきました。
「発達障害」とはどんな障害か
『自閉症スペクトラム障害(ASD)』とは、脳の一部に生じた生まれつきの異常により、(1)社会性が伴わない、(2)コミュニケーションが苦手、(3)想像力の欠如、などが現れる障害だと言われています(三つ組みの障害)。
しかし、こう言われて、どれだけの人がこの病態を理解できるか疑問です。「人付き合いが苦手な引きこもりで、空想がない子なの?」と思う人もいるかもしれませんが、実際はもちろん、そんなにものではありません。
『社会性』とは、集団の中で人に合わせて行動していく力のことで、『群れ』の一員として求められる行動をとっていく能力を意味します。
しかし、自閉症スペクトラム者は社会的にどういう行動が求められているかを理解できず、わざとではなくとも当たり前のルールを無視したり、常識的な行動をとることが出来なかったりします。引きこもりなどではなく、集団にいながら順応することが出来ません。
また『コミュニケーション』の面では、言語・非言語を含めた全般のコミュニケーションが苦手で、人と目を合わせる、触れ合う、笑いかけるなどの、表情や体を使った当たり前の愛情表現をしない・理解できないなどがあり、言葉の面では自分の好きな事ばかり話したり、人の言葉が理解できず無視してしまったり、自分の気持ちをうまく言葉にできず混乱して叫び出したり、重い自閉症スペクトラムの子になると、言葉をそのままオウム返ししてしまう、などもあります。
コミュニケーション全般で、すべてがちぐはぐで、噛み合わない、何だかしっくりこないと思われることが多いです。
さらに『想像力』という面では、これは決して空想遊びをしないなどの意味ではなく、『今これをしたら未来にどうなるか』という当たり前の想像ができない事があげられます。「これをすると、最後は怒られる。だからやめておこう」などの、起承転結が考えられないのです。
いつもと違うことをするのを極端に嫌がったり、同じ行動を繰り返すことに執着したりすることもありますが、それは、いつもの行動と少しでも違うことをした場合に、未来に何が起きるのか『想像する』ことが出来ず不安になるからです。
そのため急な予定の変更が起ったり、予測のつかない状況になったりすると不安になってぐずる、パニックを起こして暴れるなどすることもあります。
一つ一つは些細なことばかりですが、実際に子供の側にいる家族や学校関係者などは大変です。
愛情を示しても返してくれない。抱きしめようとしても嫌がる。集団行動ができない。理屈が通じない。どんなコミュニケーションもしっくりとは来ず、こちらの意図が伝わらない。子供からこちらに働きかけて来ようとする意志もあまり感じられず、いつも一人の世界に浸りっきり。
今日は天気がいいからみんなでお出かけしようかと言っても、突然の提案に混乱して、泣いて暴れて、お出かけができないどころか大騒ぎに疲れ切ってしまう……
他にも特定の音や光、感触に敏感で嫌がる、強い偏食がある、睡眠障害になりやすい(ぐずって寝ない)、片付けなどが苦手、など、一見すると『わがまま・自分勝手』としか見えない行動ばかりなので、関係者はとても大変です。
けれど子供も大変です。障害だと分かってもらえなければ、「こんなわがままな子は特別厳しく躾けなければ」と思い違いをされ、理解されないがゆえの苦しみを背負わされることにもなりかねないからです。
なぜそう思うかと問われれば、私自身がそういう経験をしたからです
大人になって初めて気付いた「障害」
私の障害は、大人になるまで分かりませんでした。
そのために障害があることも理解されないまま、小学校一年生の時には理解のない担任によって虐待と言ってもいいような体罰を受けることもしばしばでした。
「キチガイ」「知恵遅れ」「あんたは動物以下」などの差別的発言はもちろん、言うことを聞かないと言っては叩く蹴るの暴力を受けました。
給食の際には時間内に食べ終わらなかったと言って、残飯のようになった給食を食べさせられたこともあります。
元々問題がある教師ではあったようですが、もし私に『見えない障害』がなかったなら、それほどの目には合わされなかったのではと思います。
実際私はクラス1の『問題児』で、授業中でも離席し歩き回ったり、遅刻して、昼の12時に学校に到着したり、人とのやり取りがうまくできずに癇癪を起こしたり、パニックを起こしたりしていました。
これはすべて自閉症スペクトラム障害から来た混乱でしたが、元々支配的で暴力的な教師はそれを力で押さえつけて、問題解決しようとしていました。「叩けばいうことを聞くだろう。単なるわがままだから」と思われていたのです。
でも、障害があると知らずにこんな状態の子供を見たら、あなたもどう思っていたか分かりません。暴力に訴えていたかは別として、
「何て行儀の悪い、躾のなってない子供だろう。あんなにわがままばかり言って、自分のことしか考えないなんて……将来ロクな大人にならないな」
と思うのではないでしょうか。同じクラスの子の親であれば、
「親はどんな育て方してるんだ。こんな子が自分の子供と同じクラスなんて……うちの子の勉強の邪魔になるじゃないか。迷惑だ。うちの子が何をされるか分からない。あんな子と関わらせるわけにはいかない」
そんな風に思うかもしれません。
それが障害ゆえのものだと分かってもらえないほど、子供は悲惨です。誰よりも理解してもらい、サポートをしてもらわなければならない障害を背負っているのに、サポートしてほしい人たちから“ワガママ”、“嫌な子”などと決め付けられ、疎外されてしまうからです。
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そうして、何をやっても『普通に』こなすことが出来ず、嫌われ者になってしまう自分に対して、自閉症スペクトラムの子供たちは劣等感を抱くようになります。
『どうせ僕が悪いんだ』『何をやってもうまくいかないんだ』『友達なんかできるわけがない』『私は皆に嫌われている』『私は、存在しない方がいい人間なんだ……』と。
障害を理解してもらえない子供は、誰にも助けてもらえず、癒されずに生きていかなければなりません。
そのどれもが障害による特性で、決して子供たちのせいではないとしても、理解してもらえなければ、できない事はなまけ者扱いになり、分からないといえば理解する気がないのだと言われ、つらくて泣いたら根性が足りないからだと怒られてしまうからです。
足がない人に、「なんであなたは歩けないの?」という人はいないでしょう。一目見て分かりますから。
けれど脳の中で起きていることは、誰にも見ることが出来ません。だから「なんでこんなこともできないの? 普通に考えればできるでしょう」と、いつも言われて、突き放されてしまうのです。
けれど私に、優しくしてくれる人がいなかったわけではありません。小学校2年生~3年生の間は、私のことを本気で考えてくれる、優しく思いやりのある、子供好きの本当によい先生が担任でした。
その先生がいたから、今の私がいるのだろうと思います。けれど、そんな優しく思いやりのある先生すら、『見えない障害』のことは知りませんでした。
先生は私にたくさん良くしてくれ、時には娘のようにかわいがってくれましたが、そんな優しい先生さえ、私を本当の意味で『理解』し『サポート』することは出来なかったのです。
もし先生が私の『見えない障害』のことを知り、私の中で何が起こっているのか気づいてくれていたなら、きっと全力で私を助けてくれたでしょう。先生の優しさに『障害への理解とサポート』が加わっていたなら、きっと私には別の人生が開けていたはずです。
けれどその後も、私は誰にも気づかれないまま、成長することになりました。
見えないがゆえの「暴力」
残念ながら私は家族からも理解を得られず、小学校一年生の時の体験も相まって、小学校低学年の時にすでに『二次障害』と呼ばれる、障害を理解されないがゆえに起こった精神症状を抱えていました。
トラウマによるPTSDや、解離性障害、睡眠障害、小児鬱などです。やがて生きていてもしょうがないからと、担任が変わった小学校4年生では自殺まで考えるようになり、思春期にはさらに重い精神症状に苦しめられながら、辛さを誰にも分かってもらえないまま、大人になることになりました。
目の見えない子に「なぜ君は現実を見ようとしないんだ! 気合が足りないから目が見えないんだ!」と怒鳴っている人を見たら、あなたは腹が立ちませんか?「見たくなくて見ないわけじゃないのに、何言ってんだ!」と思いませんか?
けれど、自閉症スペクトラムを含め発達障害の子供たちは、常にそのような扱いを受けているのです。何も悪いことをしていないのに、理不尽に怒られて、傷ついている子供たちが今でも多くいるのです。
大人になったある日、大きな病院を訪れて、ようやく自分が自閉症スペクトラムだったと診断された私は、ようやく私は何も悪くなかったんだと、ただ病気のせいだったのだと知りました。
けれど、「じゃあなぜ私は傷つけられたのか? 苦しまなければならなかったのか?」。過去に起きた出来事が頭の中で止まらなくなり、苦しくて辛くて、押しつぶされそうでした。