祈りの心性は
強迫性障害の時の呪術的に外界をコントロールする気分に似ている
真言を唱えるというようなことは
魔術的思考の一部と思うが
これも通常の祈りの程度まで薄くなれば特に問題はなく一般心理と言えるだろう
期待、希望、祈り、呪術、魔術、などと一連のものとして並べることができる
意志を外界に反映させるときの様式として
行動・筋肉を介することなく、外界を変化させようとするもの
呪術や魔術は少しも美しくないが
祈りは美しい部分がある
これはたぶん、人間が謙虚になっている瞬間だからだろうと思う
ただ祈るしかないという場面では
自然科学的に有効な手段がない
祈ることの有効性に根拠はないが
自然な行動として祈っている
また、祈りは、亡き者を弔う場合にも用いられる
祈ることと弔うことはぴったり一致するものではないが
似ているものではある
亡き者と対話するには通常は自分一人の心の中で対話するしかない
それは弔いの行為である
自然科学的に有効なことはできないので
祈りを捧げる
人間の脳には魔術的な回路があって
それが祈りの時に働くのだろう
西洋の錬金術から科学への進歩の場面では
魔術的思考の中から科学が抽出されたと考えられるので
魔術的思考は無駄なものではない
もちろん過剰であれば邪魔になる
「おまじない」という程度の軽い魔術があり
魔除けとか厄除け、新築や新車のお祓いなどもこうした心性を利用している
だから結果には責任を持たないし持てるはずがない
心のディフェンスメカニズムにもなっている
祈りや魔術的思考を取り入れることで決定的な破綻を回避することができる
しかしまたそのせいで害悪も生じる