大らかな社会

“さっき、最低の話を聞きました。
私の叔父、そろそろ60になる人なんですが、今警備員やってるんですねいや自宅警備員じゃなくて。ほら、スーパーとかの駐車場で車誘導してる人いるでしょう? あれやってるんですよ。
で、この間お客からクレームが入って配置転換されたらしくて。その理由がすごいんですよ。
「日陰でちょっとしゃがんでいたから」
叔父さん曰く、ちょっと物を取っていただけだけで休んでいたわけでさえ無いらしいんですが、兎に角クレームがあったらすぐに配置換えされるんだそうです。
聞く所によると、そのお仕事は休憩もないんだとか。制服姿で休んでいると見苦しいとクレームが入るとかで。
ハッキリ言います。
人が休んでるのが、そんなに妬ましいか。
本日の最高気温は37度。炎天下舗装道路の近くに立っているのは焼き土下座大変だ、なんて想像力の問題以前ですよね?
木陰に入るな。しゃがむな。休むな。だらしなくするな。きびきび働け。
一体、アンタはその事で何を損したの? と小一時間問い詰めたくなりますが、クレームを付ける人には「完璧に理想通り働いてようやくギリギリ合格点byカイジ」という、減点方式の発想が見え隠れします。
こう言う人が多い、とは思いません。ただ、残念ながら最近とみにこう言う人の声が通りやすくなっているとは感じる。
こう言った減点方式の発想が通りやすい社会というのは、要するにみんなで粗探しして足を引っ張り合う社会でしかない。私は、イヤですねそんな窮屈な社会は。
………だからおねえちゃん。私が頼んだのは「砂肝揚げポン酢浸し」で小エビのカラアゲじゃないけど全然OKです。両方食べるので、中ジョッキおかわり下さい。”
大らかな社会は寛容の心がなけりゃ作れるわけない