1972年生まれ、大阪出身のAさんは、芸術大学卒業後、グラフィックデザイナーとして東京で就職し、2006年に最愛の妻と結婚。3.11を機に、夫婦で東京から長崎にある妻の実家に避難し、2012年、長崎の広告制作会社に就職した。この会社は、広告代理店の広告制作部門で、広告代理店の営業マンが取ってきた広告の制作を行っていた。代理店のビルの一角で、上司と、Aさんと、派遣社員の3人だけの職場。当初は上司に恵まれ、長崎で夫婦のマイホームも購入し、順調に長崎生活を送っていた。
Aさんの人生が暗転したのは、2013年3月。それまでの上司が定年退職し、代わりに代理店からSが上司として配属されてきた。Aさんは1年半、Sのパワハラを受け続け、2014年7月に精神を病んで休職する。ここで、Aさんの異変を綴った妻の手記を紹介したい。
(弁護士 中川拓)
●「自分が自分でなくなってゆく」やさしく真面目な夫に起きた異変とは…
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主人と出会って10年以上経ちますが、今も変わらず、ずっと身内の私に対して、今時珍しいほど真面目で誠実で、正直で裏表なく優しく接してくれています。私の両親も友人も本人の周りの人たちも、皆が同じように主人に対してそう言ってくれています。以前の東京時代の会社の上司や同僚の方たちとは、家族ぐるみで仲良くさせていただいており、今でも連絡を取り合うほど関係は良好です。誰もが善良な人間として主人を慕ってくれています。主人は東京時代の上司や恩師を人間的にも能力的にも尊敬しており、主人も上司からの信頼を受けて、その能力を活かし持ち前の真面目さと責任感を持って働いていました。思い出す限り、結婚式や新婚旅行以外に、仕事を休んだ記憶がありません。
主人の様子に異変が起きているのに気づき始めたのは、2013年10月ころからでした。長年やってきたデザインの仕事に対して、「もしかしたら向いてないんじゃないだろうか」など、卑下する発言をするようになりました。記憶力も低下しました。家庭で、何日か前に自分が話していた内容を、忘れてしまったりしました。また、たびたび、不安そうな、罪悪感に悩まされている様子でした。マイナスの思考や感情に陥っているようで、話しているうちに突然泣き始めたり、震えが止まらなくなったり、激昂してわめくなど感情がコントロールできなくなっていました。性格にも変化があり、謝らなくても良いことまで自分のせいにして謝るようになっていきました。
もともと趣味人の主人は、本来なら仕事を終え家でゆっくりする時間には、映画を見たり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、映画や漫画やアニメの話をしたりすることが好きだったのですが、このころから、趣味にかける時間もほとんどなく、趣味に対する欲自体が無くなってきて、「自分が自分ではなくなっていっているようで怖い」と漏らしていました。
「死にたい」と口にした夫 ホームから飛び降りたのではと心配する日々
2014年3月ころから、寝室で眠っている主人が、深夜や明け方に、「ウウウ……」と苦しそうにうなされていたり、何か恐ろしいものから逃げるような、「アアー、アアー」というかすれ声で悲鳴をあげたりするようになりました。大声でわめいて飛び起きたりすることも、たびたびありました。目を覚ました主人に「どうしたの?大丈夫?」と聞くと、主人は「悪い夢を見た、会社の」と答えましたが、思い出すのも辛い様子でした。
2014年6月下旬から、主人の様子はいよいよ異常に見えてきました。食欲はますます落ち、少しずつ衰弱している様子でした。また、「消えたい」「死にたい」という言葉が会話に出てくるようになっていました。毎日車で迎えに行っていた駅で、少しでも主人が駅から出てくるのが遅かったりすると、「死にたい」と言っていたことが脳裏をよぎり、ホームから飛び込んだりしたのではと胸騒ぎがして、何度もメールをしたり電話したりしました。
毎朝、主人は駅で通勤電車から降りて会社まで歩く間、電話で私と話しながら歩いていたのですが、このころ、その電話で主人が、「このまま自分が会社に行かずに消えたら、どうなるかな。会社の人たちはどうするだろう?」と話しました。またある日、「自分が死ねば生命保険が降りるし、団体信用保険で家のローンが帳消しになって、資産を遺せるよね」という話も始めました。私は、主人が本当に自殺してしまうのではないかと思いました。
2014年6月26日の晩、帰りの電車で眠ってしまい一駅乗り過ごした主人を、駅まで車で迎えに行きました。駅に着くと、主人は駅入口の階段に腰掛け、ぐったりとうなだれていました。主人を車に乗せ走り出すと、主人は車の中で突然大泣きし出しました。別に、私から何か責めたり問いただしたりした訳ではなく、突然大泣きしながら、主人は「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り始めたのです。私が「どうしたの?」と聞いても、主人は「本当にごめんなさい、ウウ…」と泣きながら5分間ほど謝り続けました。「何かあった?何かそんなに悪いことでもしたの?」と聞くと、「自分だけ外食をして帰ってきたことが申し訳ない」と言うだけでした。
2014年7月に入ると、主人はいよいよ情緒不安定な状態になりました。家のリビングで座っていても、わけもなく突然泣き出したり、泣きながら頭を抱えて「もう駄目だ、もう駄目だ」と繰り返し取り乱すようになりました。私が「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と何度もなだめても、主人は虚ろな目をして、私の声が聞こえていない様子でした。
2014年7月11日金曜日、もう限界だと感じ、私は泣きながら「もう頑張らなくていいよ」と主人に告げ、7月12日に両親に相談に行きました。主人は自殺の一歩手前でした。
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Aさんを追い詰めた壮絶なパワハラ 数時間もの罵倒、脅迫、人格攻撃、家族の悪口まで
Aさんは、2014年7月14日月曜日、精神科を受診し、「適応障害・不安障害」との診断を受け、休職。妻はAさんに、会社で何があったのか、詳しく聞き出した。
Sは、それまでの上司と違い、自分で仕事をほとんど受け持たなかった。営業が10個仕事を持ってくると、Sが受け持つのは1~2個で、残りはAさんと派遣社員に割り当て、Sは定時で帰る。派遣社員も定時で帰るため、Aさんが残業すると、Sは「なぜそんなに時間がかかる!」と叱責する。しかし、Aさんが仕事を残して退勤すると、Sは「なぜ仕事を残して帰る!」と叱責する。SはAさんに「今日は何時に終わるのか?」と尋ね、Aさんが「22時です」と答えると、「ギュっとやって19時に帰れ!」と不可能な時間を指定する。翌日、SがAさんの日報で指定時刻よりも遅く残業していることを知ると、厳しく叱責。悩んだAさんが、日報に作業時間を短めに書くと、SはAさんを「犯罪者だ!」と罵倒する。
Sは、自分の中で独自のルールを作っており、それは前任の上司とは全く違うものだった。Aさんがあるクライアントと直接メールでやりとりしていると、「営業を通してやりとりしろ。ルール違反だ。お前は俺を馬鹿にしているのか!」と叱責し、Aさんが「このクライアントは前任の上司の時代から、このようなやり方でやっています」と説明しても聞こうとせず、「お前のミスだ!」と叱責する。Sは一度叱責を始めると、派遣社員にも、「お前もAが間違っていると思うだろう」と同調を強制しつつ、大声で2時間、3時間と叱責を続ける。過去、Sの長時間の叱責で倒れ、救急車で運ばれた社員もいたほどだった。
Sの叱責は、「もしお前のせいで会社に何千万と損害が出たら、賠償できるのか」と脅迫する。「お前は嘘つきだ」「卑怯だ」「俺を馬鹿にして腹の中で笑ってる」と人格を批判する。直立不動で涙を流しながら叱責を聞くAさんに、「その涙も嘘としか思えない」とさらに罵倒する。Aさんの顔を見て、「なんだその目は、文句あるのか」「恨めし気に見つめやがって」「小馬鹿にした顔しやがって」と表情を批判する。果ては、「大阪は食い倒れとか言って馬鹿。大阪弁は嫌い」「お前の前の職場や上司はろくでもない」「お前の嫁さんは世間知らずのオタク」と、出身地や前職や家族まで罵倒する。明らかに「指導」の範囲を逸脱していた。
SはAさんに、「営業と馴れ合うな」「営業が努力をしないせいで、なんで制作が余分な作業をしなければならんのだ!」「営業の言いなりになって甘い顔をし、便利に使われているお前が悪い!」「営業に面白半分な批判をされたら、毅然とした態度で抗議し、謝罪させろ。見逃せば、お前も同罪と見なすからな」と脅していた。そのため、Aさんは口頭で営業1人1人に、Sが言う「営業への苦言」を伝達し、代理店の社員全員が閲覧する日報にも、苦言を書かされた。Aさんは、それまで雑談をしたり一緒に飲みに行ったりしていた営業社員たちから、話しかけられることも飲みに誘われることもなくなり、社内で孤立していった。
3回目の自殺を考えたAさんに、妻は「もう、がんばらなくていいよ」
2013年12月、Aさんの言動や業務の進め方が思い通りにならないことに業を煮やしたSは、「今までのお前のミスやルール違反を上に知らせず、俺のところで止めているから、辛うじてお前の首は繋がっているんやぞ!お前のミスを明らかにしてやろうか!今までのミスを俺が明らかにすれば、お前クビぞ!脅しじゃなかぞ!リーチかかっとるんやぞ!」と叱責し、Aさんのクビを示唆した。この時Aさんは、1回目の自殺を考えた。
2014年7月初旬、Sは、スケジュールを即答できなかったAさんに、「何度言っても『わかりました』という返事ばかりだ!お前は素直なフリをしているが、素直そうなその返事も俺には嘘としか思えない!嘘をつく奴に仕事は任せられない!毎日のスケジュールミーティングからお前は外す!スケジュール管理という業務をさせんということは、それ相応の処遇になるということやからな!覚悟しとれ!」と叱責し、再びクビを示唆した。この時Aさんは、2回目の自殺を考えた。
2014年7月11日、Sは、Aさんへの叱責がエスカレートし、いつもにも増して酷い暴言を吐いた末、「今後もうお前の報告は聞かん!勝手にやれ!俺は知らん!何かあれば、お前が全責任を負え!」と言った。その後AさんはSに、営業との打合せ結果を報告しようとしたが、Aさんが「すみません」と言い終わらぬうちに、Sは「知らん!聞かん!」と大声で拒絶した。Aさんは「いよいよ本当に愛想を尽かされた。見捨てられた」と絶望を感じ、3回目の自殺を考えた。そして帰宅後、明らかに精神が崩壊しているAさんに、妻が泣きながら「もう頑張らなくていいよ」と言葉をかけ、休職に至るのである。
休職開始から1年が経過した2015年7月、会社はAさんを、「休職期間が満了しても職場復帰できていない」と解雇した。Aさんは労災申請し、2016年1月、長崎労基署はAさんの精神疾患を、パワハラによる労災であると認めた。現在Aさんは、会社に対し、解雇無効の請求、パワハラの慰謝料請求、残業代請求(Aさんは、月平均60時間の残業をしていたが、会社は1円の残業代も支払っていなかった)等の民事訴訟を起こし、審理中である。
幸い、Aさんが自殺せずにすんだのは、相思相愛の妻が異変に気づき、危険を察し、Aさんが仕事に行くことを無理にでも止めたからである。しかし、Aさんは心に深い傷を負い、今でも働くことができず、夜もよく眠れず、眠れたとしても会社の夢を見て酷くうなされ、自分の呻き声や悲鳴で飛び起きる日々である。妻は、Aさんが自殺するのではないかと心配で、ひとときも目を離せないでいる。毎日のように潰され削られてきた自尊心や自信を、Aさんが回復するには、長い時間がかかるだろう。職場でのパワハラは、わずか1年半で、簡単に、1人のごく普通に生きてきた人間を壊し、家族の人生を狂わせてしまうのだ。