寂しさを感じることはあるのですが

小さい頃から、1人で多くの時間を過ごしてきました。寂しさを感じることはあるのですが、それよりも人と関わる煩わしさのほうが勝ってしまうのです。 手に職をつけたので経済的に困ることはなさそうですし、このまま一生1人で生活しても構わないと思っているのですが、若い頃は大丈夫でも歳をとると寂しくなるよ、と聞き少し怖くなっています。 1人で生きていくことの寂しさ、自分は誰にも必要とされていないんじゃないかという寂しさとどうやって向き合っていけばよいのでしょうか。 よろしければ考えをお聞かせください。
一人で生きていく、とあなたはおっしゃいます。私は疑問に思うのですが、いったいこの世の誰が一人で生きているのでしょうか。私は人里離れた山の中に小屋を建てて独居している人のブログを読んでいます。彼は他人から土地を買い近隣の人から畑を借り自分で作れないものは商店で買っています。本を読んでものを考え、考えた内容を書いています。彼はまったく一人ではない。彼の読む本は彼でない人が書いたものだし、彼の書いたものを読むのも彼でない人です。彼はちいとも一人ではない。
あなたがおっしゃっているのはたぶんそういうことではないのでしょう。推測するにあなたは、独身・独居をさして「一人で生きていく」とおっしゃっているのでしょう。私にはどうもその感覚がよくわかりません。そうした慣用句があることは知っています。でもそれはただの慣用句です。
独身・独居であってもなくても孤独は世にあふれています。血縁なり婚姻なりの関係があってもそこから人間性が疎外され孤独になってしまうケースもあります。そんなのは特殊だと思われますか。私はそうは思いません。ありふれていると思います。血縁や婚姻があれば情愛がついてくるのではありません。戸籍はたがいの人間性の尊重を保証するものではありません。それはただの制度です。私たちはその箱の中身を充実させるために個別具体的な努力をするのです。
私たちの努力はもちろん血縁や戸籍に入った関係においてのみなされるべきものではありません。私たちにはさまざまな名前のついた、あるいはついていない関係がありえます。そこには情愛があり、娯楽があり、ときに扶助があります。私たちはそれぞれの指向や状況にあわせてそれらを育てるのではないでしょうか。
「一人で生きていくことの寂しさ、自分は誰にも必要とされていないんじゃないかという寂しさ」とあなたはおっしゃいます。ご質問を返します。あなたは一人で生きていますか。あなたは誰にも必要とされていませんか。
もしも「そういう話をしたいのではない」とおっしゃるのであれば、あなたが向き合うべきは「一人でいる寂しさ」ではなく、「独身・独居」だと思います。独身・独居がどれくらいいやか、どうしていやか(例:年をとってから寂しいと人が言う)、「人とかかわわるわずらわしさ」を乗り越えてそれを解消するとしたらどうすればいいか(例:年をとってから寂しくないように結婚をする、子をもうける、退職者が住むグループホームの手配をする)というぐあいに考えてみると良いのではないかと私は思います。