“公正世界仮説とは一般に人間は「世界が予測可能、理解可能であり、したがって自分の力でコントロールできると考えたがる」こと。
世界がでたらめで無法地帯だったら、そんなことは不可能だろう。
だから多くの人は、世界がコントロール可能であり予測可能であってほしいと願い、
それが講じて世界は公正だと思い込むようになる。
なぜなら公正な世界は予測可能な世界の一つだからである。
ルールに従っていればOK、ルールを破れば罰される、
つまり「良い人は報われ、悪い人は罰される」、そうした世界観である。
さらに問題なのは、逆方向の推論がしばしば行われることだ。
成功者を見ると「あの人は幸運に値するだけのことをしてきたにちがいない」と、
富や地位や権力を手にしているだけで、その人物の評価が高まる。
逆に不運な目に遭った人に対して、
「ああいう目に遭うのも本人に何か原因があるはずだ」といった
「被害者非難」と呼ばれる現象につながりやすい。
別の調査では、偶発的な不運に見舞われた人々が、
失格者の烙印を押されやすいことが確かめられた。
たとえば「給食手当をもらっている子どもは、そうでない子どもよりも頭が悪い」
「イケメンの訓練生の方が飛行機の操縦がうまい」等々。
公正世界仮説がいかに人間の認識をゆがめるか、おわかりいただけただろうか。”