努力や苦労が報われるだろと推定するのは素朴すぎると言わざるをえないが

努力と苦労の区別を言葉ではっきり定義するのは難しそうだけれど
それはともかくとして、努力なり苦労なりをするときに、
最終的には報われると信じられるかどうかは
幸せの感覚に大きく影響するだろうと思う
無論、理屈で、または現実を冷静に見てみれば、
努力や苦労が報われるだろと推定するのは素朴すぎると言わざるをえないが
現世で報われないとしても、来世で神に祝福されることはあるかもしれない。
また、人生の時間を努力と苦労に費やすことができる人生は幸福であると感じることもできる
その観点からは努力と苦労がそのまま祝福であり幸せであり、神からの人間への問いかけであるとも考えられる。
悲しむことも、苦労することも、神から人間への問いかけであり、
大きく見れば、それは神と人間とのつながりであり、祝福であると感じられる。