"今年の夏は甲子園の話題で桑田が取り上げられ
画面でいろいろと話していることが多いような気がする
金田のプロ400勝もすごいのだが
桑田の甲子園20勝もすごいと思う
また、清原がホームラン数ではトップであるが
二位は桑田であるということもいったいどうなっているんだろうというくらい
出場試合が多いからということはあるのだけれども
桑田はすごいホームランバッターだった
都道府県別・甲子園の思い出の試合というのが放映されていたが
相手が桑田清原時代のPL学園というのが結構あったように思う
いま日ハムの大谷が二刀流ということでピッチャーとしてもバッターとしても活躍
10勝でホームラン10本という記録を作っている
投手の中ではたとえば金田、堀内、江川、最近ではたとえば広島の前田などバッターとして優秀だし
プロに入ってからバッターに専念するという、たとえば日ハム中田とか、古くは王貞治とかいるが
中でも桑田は二刀流でやっていたらとてもいい成績を残したのではないかと思う
プロ野球一年目はしばらく二軍にいたのだが
当時評論家をしていた青田が
なぜ桑田を二軍に置くか、すぐにでも一軍で投げさせろと言い、
しかし本当は自分は桑田はショートを守らせたらいいと思う、10年は安泰だと言っていた
桑田のショート、3番打者という光景はたいへん見てみたいものだった
他に挙げるとすれば、中日・立浪のような、野球センスの塊だった
2年目の前半で好調に勝って、オールスター前に10勝以上していて、
ひょっとしたら10代での20勝達成かと騒がれていた
札幌円山球場で広島と対戦、相手は当時の球界のエース北別府
0対0で進行し、結局桑田が北別府からソロホームランを打って1対0で勝った
このとき球界の新エースが誕生し
当時の巨人のエースだった江川も、エースの交代を覚悟したのだろうと思う
朝日新聞のスポーツ欄で、桑田のピッチングの秘密は、一人時間差であるとの記事が出た
一球一球でタイミングをずらして、容易に打たせないようにしているとのことだった
そのあとオールスターで清原にホームランをプレゼントして
後半戦は勝てなくなった
桑田、斎藤、槙原の三本柱で支えていた時代、
斎藤が投手成績の数字では群を抜いていた
完投数とか二年連続20勝とか
しかし18がエースナンバーであり
巨人の18番は特別な、唯一の、オーラに彩られた背番号だった
日本シリーズで優勝をかけた試合、長嶋監督は三本柱投入を決定、
その順番は槙原、斎藤、桑田だった。
たまたま槙原が早く降板してしまい、斎藤が長く投げて、試合に対しての貢献度は斎藤が高かったと思うが
最後は予定通り桑田が投げた
たぶん、長嶋監督としても、最強の精神的支柱は桑田という評価ではなかっただろうかと思う
元広島・達川がラジオで解説をしていた試合、桑田は好調で、途中までノーヒットノーランだった
しかし途中でヒットを打たれ、記録達成はできなかった
ところが達川は、「これだ、これが桑田のすごいところだ」と言い始めた
「この試合、このまま普通に投げていれば、桑田は記録を達成できた。しかしそんなことよりも大事なことがあると知っているのが、この男のすごさだ。」という。
つまり、私の理解では、そのとき、相手を抑えられるボールを投げるのではなく、
点差を考え、次の登板での相手打者との対戦を考え、次の対戦でも抑えられるように準備をしておく、
そのために、この打席では、この球種は打てるかとか、このコースはどうかとか、試して確認する
そのことが記録よりも大切だと考えている人間だという評価ではないだろうか
斎藤などが全盛期を過ぎたころ、桑田が忍者投法とか古武術の応用とか言って
最優秀防御率のタイトルをとった
相手チームは目くらましがそんなに長く効くはずはないとか言っていたのだが
結局タイトルを献上した
投げる不動産屋とか悪い記事もたくさん書かれたけれども、とにもかくにも、
長い間プロ野球の中心だった
晩年になってからマスコミ対策もうまくなったような気がする
相変わらず悪口も言われているようだ
一種の税金だから仕方がない"
"清原は巨人に移籍してから評判を下げたと思う
あのまま西武に在籍して、球界の4番として君臨していたらどうだっただろうと思う"
"松井は日本での最後のシリーズの数字は素晴らしかった。
あのまま日本にいて打ち続けたらどんな選手になっていたかと思う
アメリカに移籍してからは、正直言って、内野ゴロを打って全力疾走、
全力疾走でチームに貢献とテレビで褒め称えられていたような印象がある
現在もアメリカで通用しなかったバッターが帰ってきて4番を打っているのを見ると
たいへんがっかりする"
"これまでで印象に残ったのは抑えをしたときの巨人・河原 純一である。