数学と自然

たとえばフィボナッチ数列は思考実験から生まれた数学的主題のひとつであるが、後にほとんどの植物がこれを活用していることが再発見された。
生体の眼球を解剖してレンズやカメラが発明されたわけではないが、両者は結果的に構造が非常に似ている。
ペンローズ・タイルと同じ構造の準結晶合金や、フラー・ドームと同じ構造の分子が見つかったことも記憶に新しい。
万有引力や相対性理論の発見に先立って、数学的な鋳型は十分に用意されてあった。
発明者は自然界に先行例があったことを残念とは思わない。むしろ、その経験には独特の感動が伴い、自然への畏敬の念と共に自分の思考の正しさが裏書きされたという揺るがぬ自信になる。
自然界に隠されていたパターンの発見に先立って、純粋思考の産物である数学原理や普遍的なデザイン、発明品が関与している点は注目すべきであろう。
つまり「デザイン=発明」は私たちの認識の解像度を向上させる道具でもある。そして発明家はこう考える。自然の造形と人間の発明がはからずも同じ結論に至っている以上、自然界も実質的に「思考」しているとみなしていいのではないかと。
つまり、他の惑星の知的生命を持ち出すまでもなく、実は私たちは日常的に人間をはるかに超える高度な知的生命に囲まれているわけである。