“ 映画評論家、町山智浩が2009年12月に『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』番組で紹介した『レリジュラス』というドキュメンタリー映画が興味深かった。この映画は、キリスト教の矛盾点を散々ついて馬鹿にしたものだ。死んだ人が復活したり、処女が妊娠したり、水の上を歩いたり蛇がしゃべったりする聖書を本気で信じている人を馬鹿にした内容になっている。 その映画は終盤でバチカンにたどりつく。カトリックの総本山だ。バチカンの科学者に聖書のバカバカしさを問いつめた所、次のように答える「前のローマ教皇は、進化論を否定して

映画評論家、町山智浩が2009年12月に『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』番組で紹介した『レリジュラス』というドキュメンタリー映画が興味深かった。この映画は、キリスト教の矛盾点を散々ついて馬鹿にしたものだ。死んだ人が復活したり、処女が妊娠したり、水の上を歩いたり蛇がしゃべったりする聖書を本気で信じている人を馬鹿にした内容になっている。
その映画は終盤でバチカンにたどりつく。カトリックの総本山だ。バチカンの科学者に聖書のバカバカしさを問いつめた所、次のように答える「前のローマ教皇は、進化論を否定していない。旧約と新約聖書がつくられたのは、紀元前2000年から西暦200年ごろの間。一方、近代科学はガリレオ、ニュートン、アインシュタインと最近のことだ。科学が聖書に反映されるわけがないし、人間の知も進歩してきた」「聖書は科学の教科書ではない。2つの時代はあまりにもかけ離れているのだから、聖書を文字通りに解釈したり、絶対視することは、間違っていると思う」と。
その性質上、科学は宗教になり得ないし、宗教は科学になり得ないということだ。 我々は、それらを分けて扱うべきで、それぞれの領域に出来ないことを期待しないことだ。