"きれい事としては
人生のどんな苦難も自分を磨くと
元プロ野球の桑田真澄も言っている
実際、石ころは川の下流ですべすべになっている
しかし苦難の渦中にいる人にとっては
これで自分を磨こうなんてとても思えない
自分を責めるか、場合によっては他人を責めるか、または神を責めるかということになる
時間がたって、いろいろなことを忘れて、やっとそんなこともあったなと思えるようになる
瑣事に紛れて忘れるというのが実際のところだろうと思う
そして、ある未来の時点で幸せなら、あのことも自分を磨いてくれたと感謝できる
そのときに不幸なら、赦す気にはならないということなのだろう
そのことを分かった上で、なおも、やはり、人生の苦難は人を磨くのである
乗り越えよう
具体的によい対策がないときも、
じっと待って、みよう
少なくとも現状維持の努力をしよう
まことに腰抜けな話ではあるのだが仕方がない場合も多い"