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18世紀は捕鯨が盛んな時代だった。鯨油産業は盛況で、フォークランド諸島はクジラを捕えてその脂をとるのに理想的な場所だった。クジラの皮下の脂肪層を取り除き、その脂を大きな熱湯の浴槽に入れて火をつける。しかし、フォークランドは、植物といえば風に強い低木ばかりで、火をおこす燃料としては役に立たない。木がないのに火を燃やし続けるために、大量の燃料として目をつけられたのはペンギンだった。
当時の人々は、ペンギンの皮下にはかなりの脂肪をたくわえていると考えていた。実際に捕鯨業者はその脂肪が燃えやすく燃料として大いに役立つことを知っていた。
ペンギンは飛べないし、おとなしいため、簡単に捕まえることができた。火が足りなくなると、数羽ペンギンを捕まえて火にくべればいいのだ。捕鯨ビジネスがすたれるまでの間に、おびただしい数のペンギンが殺された。
ヨーロッパ人がやってくる300年前は、島は1000万羽のペンギンであふれかえっていたが、その95%が減ってしまった。それから、アルゼンチンがやってきて、島を取り戻そうとした。フォークランド紛争中、両軍は2万個もの地雷を浜辺や牧草地に埋めた。
戦争が終わって、イギリスは地雷を取り除こうとしたが、大量の地雷を撤去することは危険で困難を極め不可能に近かった。最終的には危険区域にフェンスを作り、立ち入らないよう警告の看板を立てるにとどまった。
人間が近寄らなくなったため、この地雷原はペンギンたちの聖域になった。彼らは体重が軽いため、地雷を踏んでも爆発することはないのだ。
人間が踏み入ることのできない危険な場所は、ペンギンたちにとっては聖地である。ペンギンたちはどんどん繁殖していき、今ではフォークランド諸島には100万羽のペンギンが生息している。
フェンスが張られた場所に入り込むことはできないが、それでも遠くからペンギンたちを見ることができるとして今では観光スポットとなっている。だが、地雷を取り除く試みはまったく進んでいないそうだ。
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そこにはこんなドラマがあった。フォークランドの地雷原に住むペンギンたちの物語