理性主義と保守主義

保守主義の一側面を考えるときに、
理性主義への完全信頼には疑問を持ち、留保を残す、という側面があるのではないかと思う

現在のように
脱構築主義などの議論がある場所では
理性の地位は揺らいでいる
ソ連という実験は一面では不成功だったように思われるし、
数学の世界でも理性の限界を指定する議論が定着している

そしてまた、この理性主義はお金にならないのである
反理性主義のほうが人々にアピールし、お金になるのである
だから繁殖する可能性は理性主義よりも大きいように思う

しかしでは、反理性主義または理性の役割を部分的にのみ容認する中で、
何をかつて理性の場所にあったところに置くべきなのか
それが問題である
伝統とか習慣とかの言い方になるのだろうか
理性には根拠を持たない、しかし、古来から尊重されてきた考え方なり、感じ方なり、
つまり価値観が尊重される、そのような考え方