妊婦や老人が救急病院をたらい回しされた挙げ句、死亡するようなニュースを、最近頻繁に耳にするようになった。救急車が到着して患者を乗せても、受け入れ先の病院が見つからないというのだ。中には、救急車が到着してから受け入れ病院が見つかるまでに4時間を要した末に患者が死亡したり、19回の照会の末に、県境を越えた病院まで搬送しなければならなかった事例もあった。
このように、救急車の受け入れ先がない状態が起きている背景には、医師不足からくる日本の医療システムの崩壊ともよぶべき深刻な現状があると、近著『貧乏人は医者にかかるな! 医師不足が招く医療崩壊』の著者で鈴鹿医療科学大学教授の永田宏氏は指摘する。
永田氏によると日本では、80年代以降、慢性的な医師不足が続いており、救命救急医や、産科医、小児科医など、勤務が過酷で、訴訟を起されやすい診療科から順に医師が立ち去り、経営が成り立たない病院が相次いでいるという。また、近年はあらゆる科で医師不足は深刻になっている。地方の病院では、90年代から必要な医師数が確保しにくい状況にあり、現在は、東京都内の病院でも、必要な医師の確保が難しくなり、診療科の閉鎖や業務の縮小が相次いで起きているのが実情だと言う。
しかし、そもそもなぜ日本の医療はそのような状態に陥ってしまったのか。また、そのような危機的な事態が、なぜ放置されているのか。
80年代、欧米、とりわけ米英では、戦後復興期以来の社民主義的な福祉国家建設が限界を迎え、レーガン・サッチャーに代表される新自由主義的な政策路線への変更が図られた影響で、医療費を抑制するために、医師数を減らす政策がとられた。日本でも、83年に厚生省が目標としていた「1000人あたり1.5人」という医師数を達成すると、米英の動きに追従し、医学部定員を削減し、医師数の抑制が計られた。
一方、医療の高度化で医療業務は複雑になり、患者の権利意識の高まりで患者ひとり当たりの対応時間も増えた。同時に、医療訴訟などのリスク管理も増え、医師、特に病院の勤務医の負担は増える一方だった。00年代以降、業務が過酷な現場から逃げ出す医師たちが現れたことで、残った医師の負担が更に過重になり、また新たに逃げ出す医師が出るという悪循環に陥ったという。
そのような状況が進行しているにもかかわらず、厚労省は2025年には医師が供給過剰になるという見通しに固執し、いわゆる「医師不足」は診療科や地域での偏在があるための現象という主張を現在も繰り返している。
確かに、医師は毎年約3000~4000人ずつ増えてはいるが、そもそも医師免許は一度取得すると終身でしかも更新の必要がない。その特性から推察して、医師免許を持っている医師のうちの相当数が、現在は高齢化し、現役の医療活動を行っていない可能性があると永田氏は語る。
現在、人口1000人あたりの医師数は、単純に医師免許保有者数を元に計算しても、日本は2.0人とOECD30か国中27位にとどまっている。その上、その中である程度のレベルの医療行為が期待できる30歳から65歳までの医師のみに限定すれば、1000人あたり1.6~1.5人程度の水準に留まり、韓国やトルコと並ぶ最下位レベルにあるだろうと永田氏は推察する。
しかも、厚労省が医師抑制策を硬直的に維持してきた背景には、小泉政権下で進められた構造改革路線の元での社会保障費の抑制政策がある。現在の医療水準を維持するために必要な医療費の増額がないままで、単に医師を増やしただけでは、問題は解消しない。もはや、日本には、医師不足を回避したドイツやフランスのようなヨーロッパ型の医療制度を選択することは不可能であり、医療に市場経済を導入する米国型か、医療機関の利用に制限をかける英国型のどちらかを選ぶしかないと、永田氏は語る。
また、この「医療崩壊」の要因の一つに、構造的な医師不足に追い打ちをかけるような、国民の間にはびこる医療万能信仰や、医療機関へのフリーアクセスが当然という感覚など、受診する患者側の意識も大きく寄与していると、永田氏は言う。そのため、メディア等を通じて現状をつぶさに情報公開し、国民の医療に対する意識の改革を行う必要があると、永田氏は主張する。