“唐は国際性の豊かな時代でした。 領域内だけでも多くの民族が住んでいるし、貿易、留学いろいろな目的で世界中から雑多な民族が集まってきましたから、都長安は国際色豊かな都市となります。現在でいえばニューヨークです。人口も100万人を超えていて、多分バグダードと並んで当時世界最大規模の都市です。 タラス河畔の戦いの唐軍の司令官が高仙芝(こうせんし)という人で、この人は高句麗人です。朝鮮半島出身の人が唐の軍人として中央アジアでアラブ人のイスラム教徒と戦っている。ワールドワイドな時代になっていますね。 この絵を

"唐は国際性の豊かな時代でした。
領域内だけでも多くの民族が住んでいるし、貿易、留学いろいろな目的で世界中から雑多な民族が集まってきましたから、都長安は国際色豊かな都市となります。現在でいえばニューヨークです。人口も100万人を超えていて、多分バグダードと並んで当時世界最大規模の都市です。
タラス河畔の戦いの唐軍の司令官が高仙芝(こうせんし)という人で、この人は高句麗人です。朝鮮半島出身の人が唐の軍人として中央アジアでアラブ人のイスラム教徒と戦っている。ワールドワイドな時代になっていますね。
この絵をみてください。永泰公主(えいたいこうしゅ)墓壁画です。永泰公主は則天武后の孫娘にあたる人。
 彼女の侍女たちが描かれているのですが、この人が持っている孫の手の大きいもの。これはポロのスティックです。ポロというのは今でもイギリスなどの貴族たちが楽しむようですが馬に乗っておこなうホッケーですね。古代ペルシアで生まれた遊牧民たちのスポーツ。この時期には中国でも流行したことがわかるね。今でいえばテニスラケットを持って記念写真を撮っているようなものです。
 こちらの絵、永泰公主墓壁画とそっくりの構図です。これは高松塚古墳の壁画です。見て書いたのではないかというくらいふたつは似ている。
 これは正倉院にある「鳥毛立女屏風(とりげだちおんなびょうぶ)」。一方のこちらは中央アジアのオアシス都市トルファンから出土した絵です。両方とも樹木の下に女性が立っている同じ構図で一般に樹下美人図と呼ばれるものです。構図が同じだけではなくて女性の顔つきもそっくりです。
 こういう絵を見ていると西は中央アジアから東は奈良まで唐を中心として一つの文明圏にすっぽり入っているのが実感できます。美人の基準まで同じですからね。
 唐の国際性というのはこういうところにもでているのです。
東西交流が活発になりますから、西方からいろいろな宗教も入ってきた。
仏教や道教とともにこれらの宗教の寺院が長安のまちには軒をつらねていたんだ。
 遣唐使とともに唐に渡った天才に空海がいます。高野山を開いた人。かれは当時中国で流行していた密教を日本に持ち帰るんですが、好奇心旺盛な人だから長安のまちをあちこち探索したに違いないんです。ゾロアスター教や、キリスト教、イスラム教、そんな宗教を日本に紹介する可能性だってあった。想像するだけでもわくわくしませんか。"