福島原発事故の後、テレビでは科学者のインタビューばかりを見せられた。なぜ科学者なんだ? これは技術の問題ではないか。--でも世間の人は、いや、メディアの人達も、科学と技術の区別がわからないらしい。両者の違いは明白だろう。科学者とは、客観的で論理的に確実な事のみを口にする人々である。確実でない、検証しえないことを主張したら、その瞬間から科学ではなくなってしまう。だから彼らに事態の予測や対策を求めるのは無理がある。それは科学を超えた、憶測と判断の領域である。それでもメディアがしつこく求めるから、彼らも“個人的見解”と断って発言する事になる。メディアはそれを、専門家のお墨付きとして報道する。
で、一般大衆は信じて納得したか? 答えはノーである。たしかに、大衆に基礎知識や理解能力が欠如していたかもしれない。では、喫茶店の隣席の学者達がいうように、時間をかけて大衆を啓蒙するしかないのだろうか。だが巨大な災害のときに待つ時間なんかない。
あのとき人々がとったのは、全く別の方法であった。話している学者の顔をテレビの画面で見て、“人物が信じるに足りるか”を判断したのである。これはある意味、当然の事だった。わたしだって、自分の専門領域でない報告を他人から聞くとき、真っ先にするのは「この人はまともなことをいっているか」を顔つきや口調から判断する事である。科学では、真理は誰が口にしても真理であり、発言者の人格は関係ない。しかしわたし達の仕事ではそうではない。実際、この判断を抜きにして、仕事なんてできないといってもいい。世間の人だって、原子と電子の区別はつかなくても、誠実と嘘つきの区別は、ある程度できるのである。”
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ネット情報になると
顔つきや口調から人物が信じるに足りるかを判定することができない
いや、できるのだけれども、判断しようとしない