意味の空白を埋める「昔のもの」

明治以降、坂の上の雲で、
欧米列国に追いつき追い越せが目標であった

経済生活の面で追いつくことなら
技術的にも思想的にも難しくないし
結果も全員で享受できるから
後進国の幸せを国民に分配することで
国の政策としても問題はなかった

途中で富国強兵をやめて
経済的繁栄だけを求めることにして
ますます効率が良くなった

しかし資本主義の必然で
景気変動の波が襲う
その後は金融資本主義の時代となり
アメリカのようになりたいという希望は実現できなくなった
できるのは、アメリカの中流以下の州の一つになることだけであった

経済的成功が目標足り得なくなった時代に
意味を求めたくなる
意味の空白を埋めるものは
実は多くない
日本が
アメリカの下層階級に指定され固定された時
何を求めたらいいのか
アメリカが許してくれるのは
お金と関係しない、意味のようなもの

アメリカの下層階級がすがっているキリスト教が
日本では今ひとつ人気がない
それも不思議な話なのだが
グローバルマーケットの話で言えば
アメリカで開発したキリスト教布教パッケージが
日本でも使えたら、こんなに儲かる話はない
同じような人たちが同じような思想で作っている自己啓発系のパッケージは
日本でもそこそこ商売になっているのに
不思議な話でもある
クリスマスには寛容なのに葬式には不寛容であるらしい

新しい価値なんて誰も信用しないので
古い価値に向かう
神社神道勢力とか軍人恩給勢力とか、
神の国とか伊勢神宮とか

若者は貧しくなり
家も車も要らない、ただ日本人としてのアイデンティティがあれば
生きていけます、国防も進んで担いますという
支配層にはまったくもって都合のいい環境である