二重の見当識

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例えばの話、ある古くからの精神科病院には、
自分を国連事務総長だと語る人がいる
今日も地域紛争の調停のための話し合いがあり忙しい
人々の争う心を少しずつ変えてゆくのが自分の生きる意味だという

その人は同じフロアの病人さんも看護職員にも尊敬されている
それはその人が大変にきれい好きで
自発的に掃除をしてくれるからだった

その日も、廊下をモップがけしていた

自分が国連事務総長だという認識と
今現在、病院の廊下をモップがけしている事実とは
矛盾するのではないかと思うが
その矛盾に悩まないことを二重の見当識と呼んでいる

これを訂正しようとして論争を挑んだり説教を始めたりするのは
逆効果なのだとよく言われる

この人の場合には
新人精神科医よりもずっと長く精神病者をやっているので
質問にも驚かず、いろいろ事情があってねえ、すべてを話せないのも辛いんだよ、などとしみじみ言うのである
相手によっては色っぽい戯れ歌を歌って笑わせたりする

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考えて見れば、われわれはどの人も、心の中と現実とは、ギャップがあって、
そのギャップを突き詰めて考えることもなく生きているのだから
軽度の二重の見当識を生きていることになると思う

どの人も、世間で思われているよりは、自分はいい人間なのだとか、思っているのではないだろうか
世間は理解がないとか、酒を呑むと言い出すものである
あるいは逆に自分を、実は、世間が思う以上のワルなのだと思っていたりする

それを拡大すると、自分は国連事務総長であるが、ここいらの凡人には理解されなくて当たり前だという
認識になるだろう

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その病院には私はアンリ・ジュナンです、と語る女性もいた
新人精神科医をからかう冗談なのである
新人は医局に戻って、アンリ・ジュナンって、何ですか
と聞いて、先輩から、本人に聞けばいいよと言われて
本人に聞くと、お医者さんなのに知らないのか、赤十字の創始者ですよ、と教えられる

本当はアンリ・デュナンという名前で、赤十字の「父」なのであるが
わざと少しずらして話し、
冗談であることを確保し、
さらに、相手の二重の無知を笑う仕掛けになっている

女性なのに赤十字の父を名乗ることがおかしいし
デュナンを日本語訛りでジュナンと「本人が」言うのもおかしい

そしてそのことを「二重の見当識」などと書くと
しばらくしてからかわれていたことに気がつくことになる

さすがに長く病院で生活していると複雑なことをしかけるものである

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いろんな人がいるもので、
女性患者で春になると精神症状が悪化し、薬剤量が増える、するとその副作用で
尿閉となり、尿道にカテーテルを入れて導尿する
するとこの人の毎年の行事のようなもなのだが
このすけべ、そんなに私のものが見たいのかと、大声を上げる
すると先輩医師は、また春が来て新人がからかわれているなと季節を感じることになる

この場合にも広い意味での二重の見当識と言えるかもしれない
そんなにも魅力的な女性であるという認識と
大声を上げながらも素直に導尿を許している現実とのギャップ
魅力的な女性であるという自己イメージはあくまでも守りたいもののようである

しかし現実にはなかなかきつい言葉で周囲を驚かせる

こういうことのマイルドな形も世間にはたくさんありそうである

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