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わしには20代後半の日本人の友達がいて、このひとは相模湾沿いの町に住んでいる。
肥っている自分が嫌いで、なにごとにも自信がもてなくて、家に閉じこもっていることが多い人だった。
運動すればいいやん、というと、やってみた、という。
泳ぎに行ったら、高校性の女の子がふたり、こっちを見て笑い転げていた。
もう、それから人前に出るのが怖いんだよ。
職場でも、冗談で、でっかいねえ、と言われる。
笑って受け流すが、もう死んでしまいたい。
涙ぐんでしまったのは、アメリカ人たちの「まともさ」に感心してしまったからでした。
肥満に苦しんで、毎日野菜と果物を大量に買ってゆくでっかいよそ者が小さな町で話題になってゆく。
そのでっかいよそ者が、ある日、自分がやっている減量をみんなにも教えたいから、見に来ないかと町のひとびとに呼びかける。
たくさんの人が、真剣な顔で、でっかいおっちゃんの説明に聞き入ってます。
誰も「だって、本人がデブなんじゃん」とゆわないのね。
「いやあ、おれには無理だぜ」というひとはいる。
今度にするわ、というおっちゃんもいる。
でも、誰も茶化して笑ったりはしない。
英語人、なかでもアメリカ人に特徴的な習慣は、問題が生じているとき、
ものをまっすぐに見て、正面から抱きとめるように、あるいは全力で体当たりするように問題を解決しようとする。
見ていると、一心不乱、という言葉を思い出す。
他人がそうしている様子をみて茶化したり、まして笑ったりするのは、人間として最低の行為だと誰もがよく知っておる。
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