「何者かになりたい病」

僕がこの年齢になって感じるようになったのは、「自分は何者にもなれないのだ」と知ってから、本当の「人生」がはじまる、ということなんですよ。
 僕が村上春樹さんの作品の登場人物に惹かれるのと同時に、「浮世離れしている」と批判したくなるのは、彼らはみんな「何者でもないけれど、自分のやるべきことを、淡々とやっている人」であり、「それを自分で受け入れている人間」だからなのです。
 『コクリコ坂から』という映画を観ながら考えていたのだけれども、結局のところ、大部分の「何者にもなれない人間」にとって根源的な「しあわせ」みたいなものって、「おいしい朝ご飯を食べて、おひさまの香りがするふんわりとした布団で寝ること」に尽きるのではないだろうか。
 「何者か」であろうとするより、「生物としての根源的な喜び」を積み重ねていくほうが、「正しい」のかもしれない。
 何も好きなものがなく、感情移入することもなく、ひたすら「生物として生き続けること」に集中できれば、ラクになるよねきっと。
 いや、それほど味気ないこともないのかな……
 アルコールとかギャンブルとか恋愛とかネットとか、「やらなくても死なないこと」なのにね。
 ……というようなことを文章にしているだけでも、僕はこの「何者かになりたい病」から抜け出せない人間であることを証明しているのですけどね。