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<大気汚染解消を最優先せよ!>
北京から高速鉄道に乗って上海を往復した。3月22日の行きは6時間、同24日の帰りは5時間の距離だ。改革開放政策を打ち出した鄧小平さんが、日本の新幹線に乗って感激、中国にも、と舵を切った結果の中国版新幹線である。300キロの速度で瞬く間に目的地に着いた。しかし、北京のPM2・5から逃げることは、とうとう出来なかった。かつて中国内政の最大の課題は台湾問題だった。僕も汗をかいたが、いまや大気汚染解消が中国と地球にとって、最も優先される課題といっていい。
<日米右翼の挑発や原発よりも、自然エネルギーや電気・電池自動車>
いま中国を取り巻く外的環境は悪化している。原因は明瞭である。東京とワシントンの右翼・産軍複合体が、襲い掛かってきているせいだ。東京の自公政権は、中国脅威論を喧伝して「戦争法」を強行、施行に踏み切った。
見方次第では、戦争さえ予感させる。日米韓は、北朝鮮問題でも挑発を繰り返してきている。北朝鮮の対応次第では、中ロを巻き込む第三次世界大戦さえも想定されかねない。
だが、それはない。核兵器の時代だからだ。核がワシントンの野望にブレーキをかけている。日本の核武装化を共に心配しなければならない国連である。
それよりも何よりも中国政府と人民の大事は、PM2・5を解消することにある。現状を放置すると、国家も人民も滅びかねない。これは空想ではない。現実問題である。
どうするか、西洋文明から離脱するほかない。東洋文明に切り替えるほかない。自然との共存である。自然エネルギーに切り替えればいい。車も電気や電池に切り替えるのである。原発傾斜は、311の教訓から回避すべきだろう。
ドイツの政治は学ぶ価値がある。歴史認識も完璧だが、311の教訓も立派である。人類は使用済み核燃料を処理する能力がない。核は悪魔そのもので、人知の及ぶところではない。
<池田勇人晩年の苦渋>
日本の高度成長は、経済重視の池田内閣によってもたらされたものである。その象徴が所得倍増論・高速道路や東京五輪だった。池田さんの晩年の苦悩を、彼の秘書をした木村貢さんから聞いて知っている。
「経済発展は、果たしてよかったものか。公害問題を発生させてしまった」と苦渋に満ちた思いを口にして、池田さんは逝った。
彼の後継者となった佐藤栄作内閣は、公害問題の処理が最大の内政の課題となった。いまの中国と酷似している。
佐藤の7年8か月は、公害との戦いだった。工場の煙突は100メートルの高さになり、硫黄酸化物を排除する脱硫装置を取り付けた。その一方で、原発を促進した。広島・長崎の教訓を忘れて、原発をクリーン・安全と吹聴して強行した。その先頭に、戦前回帰を悲願とした天皇制国家主義者の中曽根康弘と読売新聞が立った。311大惨事が、彼らの野望を、見事なくらい打ち砕いたのだが、極右の安倍・自公内閣は、それでも目下、原発再稼働に必死である。
「核武装化に突進している」と世界から見られている。
<川崎製鉄の黒煙>
僕の新聞記者時代は、千葉市で始まった。同市の公害源は明白だった。川崎製鉄という製鉄会社だった。東京湾に面した沿岸を埋め立てて、そこに公害企業を建設した。
「おかしい。止めよ」という市民の声は無視された。県議会・市議会も、金のなる公害企業を促進、日本でも有数の製鉄会社が稼働した。結果、市民は黒い煤煙に泣かされる。石炭を燃やすことによる大公害の発生である。
市民は、洗濯物が黒くなって、初めて公害被害に気づいた。肺も冒されて、初めて公害反対運動が市民レベルで展開される。それを新聞は、市民の側から正義の報道をしたが、遅かった。
<水俣病の恐怖>
僕が新聞記者として、公害の恐怖に震え上がったことが一度あった。熊本県水俣市を取材したときのことである。
水銀中毒の恐ろしい、恐ろしい被害者を直接、目撃したことによる。目の前の奇形児は、この世の人間ではなかった。幼児の手は細く蛇のようだった。瞬間、目をそらせてしまった。今どうしているのか?
チッソ水俣工場からの大量の水銀が水俣湾に流れ込み、それに汚染された貝や魚を食べた結果、水銀中毒に冒された市民の悲鳴が、思い出すと脳裏をかすめてくる。
この水銀中毒事件は新潟県でも起きている。日本は文字通り、公害列島・公害大国となってしまった。それを大中国が追いかけている?
<経済優先は人間の心も汚染>
1930年代の上海は、東洋随一の国際都市・魔都として繁栄した。久しぶりの上海は、それをはるかに凌駕した「大上海」である。
80年代末の上海を見聞した僕にとって、それはすばらしい外見を備えている。東京や北京さえも超えたようだが、大事なことは人間の心である。心正しければ、自然との共存を図るしかない。その大事を成し遂げる時ではないだろうか。
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