あとでゆっくりと自分の正当性の物語を作る

国家とか政治集団とか宗教集団とかがあって、
それぞれが自分のみが正しいと主張している時 、
現代にあっては、知性の水準はほぼ同一になるものであって、
それぞれの屁理屈になにかしらの、自分たちの考える正当性があり、
法律的倫理的宗教的な正当性については議論で決着がつくものではない

戦争をしたり、警察権力と闘争をしたりして、
いったんは暴力装置が作動して、
その結果、どちらかに有利な選挙が仕組まれたりして、
決着がつく

そこにどうしても暗黒の部分が生じる
非暴力といって貫徹できない部分が生じる
非暴力者が根絶やしになるまで殺戮を継続することも出来るのだ
それが暴力側の唯一の強みである
殺したあとでゆっくりと自分の正当性の物語を作るのである

暗々裏に闘争が行われ、
警察権力、軍、徴税権力などを奪取してしまえば、
あとは全部おまけでついてくる
奴隷というおまけ

本当を言えば、警察の一人一人、軍の一人一人は
判断力のある人間なのだから、
誰に銃を向けるべきかは、上官の命令にかかわらず、
自分で決めることが出来るのである
それが人間というものである
と、仮想するのが理想主義者の愚かさである

現実には、警察官も軍人も、上官の奴隷でしかない

世の中とは恐ろしいところだと
老人はつくづく思うのだ