言葉によってトラウマを与えてしまう場合がある
たいていは加害者は気付いていない
人間は言葉や態度を学習するものなので
どこかで学習したのだろうと見当をつけて
いろいろ話を聞いていると
学習の経過が分かることもある
そのときは、その人は、被害者だった
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動物行動学の古い話では、
攻撃性を比較して、より攻撃的な個体が、群れの中で順位の高い地位を占め、
食料やメスとの交尾の順番を確保するということになっている
(新しい観察では、どうもそれほど単純ではないだろうということだが)
オス同士で順位を決めるときに
交尾の格好をして、どちらがオス役をしてどちらがメス役をするかで
順位の確認をする
こういうのはティンバーゲンとかローレンツとかの話で出てくるような気がする
こういう儀式をすることで本気になって血を流さないですむ
人間の場合、こうした、動物も行う行動も大事なのであるが、
言葉の要素が大きくなる
考えてみれば、単なる言葉なのに、「許せない!」とか、命がけになったりするのも
不思議なことではある
それほど言葉を信じて生きているものなのだろうか
そんな中では、平気で嘘をつける人は、大変生きやすいということになるのかもしれない
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順位決定に、こうした加害的で、トラウマ誘発的な言葉が役立っているとすれば、
被害者の苦しみに応じるだけの
加害者の喜びがありそうであるが
どうもそのようではない
快感だから次々に言葉を発しているという感じではない
結果として家族全員が疲弊する
このあたりは進化の袋小路ということなのだろうか
神様に再設計をお願いしないといけない
ガンジーのような非暴力は難しい
むしろ、人工知能のほうが非暴力を貫徹できそうである
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どのように生きれば、暴力を限りなく、なくしていけるのか、わたしたちは、その道を探し続けなくてはならない。(『ガンディー 魂の言葉』)