忙しく仕事をして無駄遣いする社会

忙しく仕事をして無駄遣いする社会と
ゆっくり暮らして貧しいながらも無駄のない社会と
どちらが幸せだろうか

幸せの基盤として医療・福祉や教育、食料、住居があるとおもうが
どのくらいで、「もう充分」と言えるのだろう
もうかなり充分なのではないだろうか

老人の考えはどうしても後ろ向きになり
未来を切り開く気迫には乏しいことになるが
小国寡民でどうだろう

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市中に供給されている貨幣量が問題になるが
貨幣の回転速度も問題なんでしょうね

回転速度が速ければ、見かけの貨幣量が増える
逆も成り立つ

また、物々交換や、親切な行動などが増えると、
見かけ上の経済活動は収縮する

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マスコミとか政治とかは、商売人と結びついているので、
働かないでゆっくりしようよ、その代わり、少しくらいの不便は我慢しようよ、
とは言いにくいのだろう
それでは視聴率がとれないし、選挙で当選できない

だから行政サービスが肥大化する
社会主義みたいな大きな政府になって
どうしたことか年金のお金で大きな損を出している

テレビ画面では問題があるといつでも「国がきちんと対策して欲しい」なんて言っている
すると税金が増える
「国に頼る心性」を育て続けている

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テレビ画面を見ていて思うのは、
長い時間をかけて人々はどんどん言葉を過激にして感情を過大にしていることだ

大げさな人のほうが映像としては刺激が強いので
それを繰り返し視聴しているとだんだんそれが普通の水準になるのだろう

そうすると、感覚は次第に麻痺してきて、本当のところ、どのくらいの感情の深さなのか、
測定が難しくなる

100%違いますというところが120%になり、200%になり、2000%になる

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資本主義の仕組みとしては
経済成長つまりインフレがないと困る
その仕組みとテレビの「感情のインフレ」の仕組みがぴったり一致したような気がする
躁状態の人がカードでお金を使い切ってしまう、そんな行動が求められているようだ
軽薄で深みのない消費するだけの人間
一方に過重労働で疲れ切っている人間