大金持ちで由緒有る名家の晋太郎が自分の次男にたいして、手間暇を惜しんで、晋三と命名したような例は無い。一つ上の跡取り息子の長兄とは差別しているにしても酷すぎるのです。
生まれた時点で差を付けたが、その原因が一切不明。何かが隠されているらしいのです。
安倍晋太郎は、跡取り息子の長男に対して安倍寛信と命名するが、これは大政治家だった父方の安倍寛と母方の岸信介の二人の祖父から、それぞれ『寛』と『晋』の一字ずつ貰ったものだと考えられる。
安倍晋三の長兄は東大を卒業後に日本を代表する兵器メーカーの三菱に就職し執行役員や関連会社の社長を歴任して、現在も健在である。
3人兄弟の次男として生まれているのに、何故か扱いが『三男』の晋三であった。(通常の例なら『晋三』では無くて晋冶か晋次、晋二郎である)
高校生になった晋三少年を父親の安倍晋太郎は『東大にいけ』と分厚い漢和辞典で何回も殴っていた
中学生になってからも寝小便が治らないので夜中に母親代わりの乳母が起こして便所につれていっていたが、そのまま未婚の若い乳母の布団で寝ていた
晋太郎の本物の3男(晋三の弟)が生まれて直ぐに子供が出来ない岸家に養子に出されて岸信夫となった