神というメタファー

"現実のキリスト者を私は愛してはいない
教会に集う人々ともわずかに場を同じくするだけである

神というものを妄想であると思っているし
人間の脳はそのようなものを自然に受け入れるように
作られているのだと思う

だから神というものは広い意味でのメタファーであると思っている

聖書にしても2000年も前に古い外国語で書かれたもので
それを日本語に翻訳してどれだけの意味があるものかと思うこともある

神のない世界で神のない言語を使っている場合よりも
神の存在を肯定して神を想定した言語を使っている場合のほうが
心が安らぐ

それは言い方の違いだけだとは思うのであるが
そちらの言い方のほうが好きなのだ
それは私の脳の癖なのだろう
そしてそのことで誰にも迷惑はかけないのだから
問題はないだろう

神の存在をかすかに信じている人たちと隣り合っていた方が
心が安らぐ
"